こんなに円高だというのに、大学生は海外旅行に行かないそうだ。
というのはちょっと言いすぎなのだが、
海外旅行に興味がない学生が絶賛増殖中なのだ。
確かに、採用面接でも、
「最近行った一番遠いところってどこですか?」
という質問でも普通に、
「東京です」
「九州です」
とか答えられたりする。
酷い場合、それが高校時代の修学旅行だったりするから大変だ。
別に、海外旅行に行かないとだめだとは思わない。
が、学生時代以外に、いつ行けるというのか?
私なんて、社長という比較的時間に融通の効く職種であっても、
「1ヶ月視察に海外行ってきます」とか無理。
ちなみに私は、学生のころは、1ヶ月単位くらいの海外旅行に行ってばかりいた。
何がよかったかというと、
旅行に行くと、自分の無力さと自分の力が意外とあることと、両方知ることができることだ。
日本にいると、なんとなく、誰かが敷いてくれたレールに乗っかって、それなりに満足できる毎日を送れるような気がする。
もちろん、それは往々にして誤解である。そんなに人生が簡単なわけがないのだ。
だが、なんとなく、目の前のことを順番にこなす毎日では、ついつい、そんな気がしてしまう。
ところが、見知らぬ町、誰も知り合いがいない町に行くと、状況は全然変る。
この道をまっすぐ行くのも、右に行くのも、左に行くのも、
全部自分次第。
全部自分で決めていい。
自分の行き先は、自分の人生は、自分が決めるものなのだ。
日本にいると感じにくい、自分自身の「自由さ」に気がつくのだ。
もちろん、選択する権利はもともと日本にいたって持ってる。けど、感じにくい。
旅先では、それを感じられる。それがいいところ。
旅先で、どっちに行こうか決めるとき、
この道をまっすぐ行ったら、悪いやつに金を巻き上げられるかもしれない。
あるいは、行き止まりだったり、行きたい方向と違うかもしれない。
危険な場所に足を踏み入れてしまうかもしれない。
と、心配になる。
自分で決める、というのは、決めた結果に自分で責任を取るということだ。
「まっすぐ行けって言われたから行きました」とかそういう言い訳はできない。
日本にいると、そういう心配は少ない気がする。
が、しかし、日本にだって悪いやつはいるし、行き止まりもあるし、危険な場所もあるのだ。
結局、旅先に行って思うのは、どこにいたって、決めるのは自分。責任取るのも自分。
そういうことを感じられるから、私は学生のうちに、自由旅行をオススメしている。
現地ガイドは不要。ガイドブックすら不要(現地で聞けばなんとかなる)。