素質 [不器用だからこそ・・・]
私は、学生時代ある競技の選手でした。
中学生時代に、非常に運動神経の優れた同級生がいました。
私が、1週間掛けて繰返して、やっと出来るようになった動きも、その同級生に掛かれば、1時間程度で出来る様になってしまいます。
練習をサボリがちな同級生に対して、私の方が一生懸命に取り組んでいましたが、競技実力は及びませんでした。
正直、不器用な自分を卑下しました。
その後、お互いは、異なる高校に進学。
高校2年生の春季大会。
私は、その同級生と戦う機会を得ました。
結果、嘘の様に簡単に勝つことが出来ました。
その後も、何度か対戦することがありましたが、全て圧勝。
一度も負けることはありませんでした。
以前、あるテレビ番組で、法隆寺などの文化遺産の修復を手掛ける優れた宮大工の棟梁の話しが取り上げられていました。
その棟梁は、自身の技術を継承するために、毎年100人を超える問い合わせから面接をして、弟子を雇い育てていると言います。
その採用基準を以下のように語っています。
「自分は不器用な子を採用します。器用な子はすぐに理解が出来ますから、すぐに仕事が出来てしまう。時間が早いって事です。」
「不器用な子は時間がかかりますよね。 しかし、自分達の仕事は法隆寺のような千年もつようなものなんですから、時間がかかってもいいんです。」
「器用な子は仕事を頭で覚え、不器用な子は仕事を体で覚えます。」
「下手は下手なりに一生懸命に仕事に向かう子。そういう子を採用したいと思いますね。」
そうです。
直ぐに結果を出さなければならないことであれば、器用な方が良いのかもしれません。
しかし、世の中なんて、直ぐに結果を求めることの方が少ないのではないでしょうか。
多少、時間がかかっても良いので、より完成度の高いホンモノが求められるのではないでしょうか。
勿論、器用な上に、努力を惜しまない者ならば最強なのでしょうが、器用だからこそ、辛抱することができない場合が多いことも事実だと思います。
私は、中学時代の指導者に言われたものです。
「お前は不器用だから、他の奴等が簡単に出来ることも時間が掛かる。しかし、お前は、それでも、諦めないで取りくむだろ。お前にとって、不器用なことが素質なんだぞ。不器用で良かったな。」
最後の「不器用で良かったな」で私は救われました。