前回は、過酷に環境の中の収容所から生きのびた女性たちの考え方などの調査して、
3つの考え方があることを紹介しました。
今回もナチスドイツに強制収容所に入れられた精神科の医師のフランクルの方の話しです。
強制収容所の話し、わたし無理 ドン引きしそうな方はここてやめても結構です。
心が折れて絶望に近くなったひとは、一度は本をさがして、次のような文章に出会います。
「絶望の果てに光がある」との話しがよく出てきます。
フランクルの「夜と霧」という本でのことと思われますが、私は怖くて読めません。
フランクルのほかの言葉を著名な方が紹介しています。
「意味のない苦しみはない」
「それでも人生にイエス」と言おうなど、元気になることばの本でよく紹介されます。
いつ、ガス室に送られるかもしれない、毎日の過酷な労働、薄いスープとパン1個、睡眠を満足に取らせてもらえない、衛生環境不良など、本当にとても考えられない環境で生きのびてきました。
フランクルが言うには
このような劣悪な中で、生還できた人たちは、希望・生きる意味をもっていた。
屈強な強いひとが生きのびていたかと言えばそうではなかったと、「ここを出たら、やり残した仕事をしたい」などと持ち続けた方のほうが生きのびたと
そのようなこのようなことがしたいなど、苦しいなかに生きる意味を見出して、それで苦しみを耐えてこれたとのこです。
私が支えにしたものは「この苦しみはいつかは、終わる。将来は自分のこのような経験を伝えよう」と希望を持ち続けたことです。
苦しさに耐える、意味は見いだせなったけど、自分がつらくても、先人の方がよくこのような環境て生きのびてきたことを思い出すと、もう少し頑張ってみようと思えたことです。