楠木正成公、そして息子正行公のことを調べて、関心を覚えたことをもう少し。

楠木正成公は、最後に自害する際に、弟正季と

「7度生まれ変わっても忠誠を尽くし、本懐を遂げたい」と言葉を交わして、刺し違えたといいます。

その強い想いから、

足利尊氏側の武将のもとに霊としてたびたび現れたとか…(本当!?)

そんな強い忠誠心を持つ一方、楠木公は父子ともども、味方側と相手側ともに慈愛を持っており、

相手側(幕府軍)のことを敵とは呼ばず、寄せ手、と呼んでいたそうです。

そして、石塔を建てて、その兵士たちを丁重に供養したのですが、

寄せ手の方を味方よりも大きく作って、弔っています。

見に行って来ました。確かに、そうでした。

誰が参られているのか、供花、お線香が絶えない様子でした。



そのような、仁のこころは他にも。

小楠公(正行)が最後の四条畷の合戦で討ち取った影武者を丁重に弔ったことは先に触れましたが、

その前の瓜生野の闘いで、敗走し、真冬の冷たい川に転落し溺れる兵士たちを敵味方の関係なく、救い上げて、手当を行い、衣類や馬具を与え、送り返したそうです(渡辺橋と言われています)。その敵兵の中には恩義を感じ、小楠公の陣に馳せ参じたものも居たと言います。

寄手・味方塚の建墓、渡辺橋の兵士救済、これらの話は、

日本の忠孝両善の歴史事例として、

日本が赤十字への加入が承認されることの一助になったと言われているそうです。

他にも、正行公と弁内侍の悲恋の話(至情塚)の場所も訪れてきました。


真偽のほどや、ものの見方への賛否は、あるかもしれませんが、

この連休に楠木正成公(大楠公)、正行公(小楠公)ゆかりの地を巡ったことは

いろいろなこころ、想い、に触れた気がして、いい経験になりました。

最期に。

史跡のみならず、訪れた場所に楠町、楠木町、楠公町、として、地名にいまも刻まれていること、

このことにも強く心を揺さぶられました。