B級グループサウンズ ⑫ ザ・ハプニングス・フォー | 芝ちゃんのブログ

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  今回は、実力派で大人のバンドといった印象が非常に強かったバンド(メンバーの中に二人もヒゲを生やしていた)、しかもギターレスでオルガンやピアノが主体だったグループについて書きたいと思います。

  その名は、”ザ・ハプニングス・フォー”です。

 

       

 1964年に福岡県博多でクニ河内、チト河内さんを中心に結成されました。(この記事では、”ザ・サンシャイン”となっているが”ザ・サンライズ”が正しい・・はず。)ジャズやラテンのバンドで、東南アジア方面にまで出稼ぎにいったこともあったという。サンライズ時代には、ペドロ梅村(上京後、ペドロ&カプリシャス結成)や里見洋(ロス・カンターノス、レオ・ビーツ結成)も在籍していたことがあるようです。

 (あと、福岡県福岡市にはチェリーサウンズ、少し後にキーズというバンドも存在しました)

1966年に上京し、1967年6月にアスカプロの所属になってから都内の有名なクラブなどで

演奏するようになりました。

 

               

      GSとして東芝からレコードデビューすることが決まり、このバンドのボーヤで歌もうたっていたトメ北川をボーカルとして加入させ4名体制とし、バンド名が”ザ・ハプニングス・フォー”と名付けられました。命名者は黛敏郎さんらしいです。

    メンバーは左から、クニ河内(1940.7.7生、河内郁夫、リーダーでオルガン、ピアノ、ボーカル)、チト河内(1943.2.24生、クニ河内の弟、ドラムス)、トメ北川(1948.3.23生、ヴォーカル、タンバリン、パーカッション)、ペペ吉弘(1942.2.24生、ベース、ボーカル)。

ラテンロックが売り物でしたが年齢的にはGSとしては少し上で、戦後生まれはトメ北川さんだけでした。

 このバンドは”R&B天国”で3、4回ですが観ております。落ち着いた大人のバンドだったという印象です。ヒゲを生やした河内兄弟は衝撃でした。GS全盛期にヒゲはあまりいなかったからね。(ブルコメの小田さん、バニーズの井上さん、モップスの星さん、シャープファイブの古屋さん、あとバロネッツの塚田さんとサムライズぐらいかな・・・ロック化あたりから増えてきたけど。)

 玄人の男性には結構人気があったようです。実際、1969年のミュージックライフの人気投票では8位に入っています。明治提供のGS人気投票では81位だったので若い女性には今一の人気だったとみる。クニ河内さん作詞作曲による「そっとおやすみ」(布施明で有名)は、元々は彼らのステージレパートリーにしていた曲で銀座のクラブの閉店メロディーの定番だったという。(この曲はペペ吉弘さんが歌っていたと聞きました)

 

                

     1967年11月発表のデビュー曲は「あなたが欲しい/何故?」はプロコル・ハルムの「青い影」にどことなくイントロが似ており、美しい音色の曲で小ヒットしました。もっと言えばバッハの「G戦上のアリア」の影響もあるのではないでしょうか。クニ河内さんはバッハが大好きだったようですよ。カルメンマキもカバーしていました。ジャケットデザインは横尾忠則でした。2作目(1968年3月)「君の瞳をみつめて」も素敵な大人の歌という感じだったがオリコン92位に終わった。        

 

 

 

 

 

 

 

 

             

    ほとんどがはクニ河内さんの作曲だが、1968年5月の3作目は「アリゲーター・ブガルー」は外国の曲でクニ河内の作曲ではない。この年のニューリズム、ブガルーに挑戦しておりホワイトキックスとの競作でしたた。B面はブガルー曲でもクニ河内さんによる作曲。4作目は1968年12月の「夜明けのバラード」は印象が薄いかも・・。

 

           

    5作目は1969年5月発売で「あの夢からさめて」でしたが、この曲はクラシカルな曲で当時耳にした記憶が残っていますね。

     1969年7月発売の6作目はデビュー曲と2作目とのカップリングですね。どういう意図だったのでしょう。解散の数年後にヒット曲のカップリングで発売というパターンはよくあったが・・・確かに「あなたが欲しい」は名曲でしたので、これも静かなヒットにはなったようです。

 

        

   7作目は、1969年11月発売で「命短し/青春」でした。少しR&B調だった気がします。

   8作目、1970年5月発売の「恋人たちの願い/永田町への道」からは5人体制になりましたが、バンド名は、まだハプニングス・フォーのままです。新加入の篠原さんは1946.7.18生まれ、キーボードがメインでサブボーカルも担当しました。ジャケットでいうと右端の方です。

    

           

    9作目はラストシングルとなりました。1971年9月発売で前作から1年4か月も後に出したことになります。時代的にもニューロックといった感じでした。バンド名も正式に”ハプニングス・フォー+1”となっております。1970年中に変更された感じがします。

       後にわかった話ですが、篠原さん加入により+1としたわけではなくて、水谷淳さん(元アウトキャスト、解散後にアダムス結成、1969年冬に解散)がほんの一時期ハプニングス・フォーに参加しており、その際に+1と付けたようです。

   右のコンパクト盤は、解散してから出されたコンパクト盤だったような気がしております。

 

            

             私が、このバンドの唯一持っているアルバム「マジカル・ハプニングス・トゥアー」!アルバム(LP)は高いのでよほどファンでなければ買う気は起きませんでしたね。

      ジャケットが面白いでしょう? (笑) その後も3、4枚のアルバムは出されています。

 

 

                  

           何度か書いているが、マイ・プラチナのソノシートです!

      右は、、ジャズ喫茶「メイツ」、これは1969年1月です。レギュラー出演ですね!

      久美かおりさん・・・懐かしいねニコニコ

 

             

       こちらはよく出演していた「池袋ドラム」、1968年3月のスケジュール表です。

      同郷のレオ・ビーツも出演していますね。

      7日のザ・ダックスはブルーインパルスへと名前を変える前。

      サンダーバーズは望月浩さんのバックバンドで歌番組で観たことがあります。 

      同じようなパターンでザ・バロンは尾藤イサオのバックバンドからそスタートでした。  

      12日のブルージーンズは、寺内タケシが率いたブルージーンズではありません。

      寺内タケシはこの頃はバニーズのリーダーとして活動しており、バニーズを離れてから再びブルージーンズを結成することになります。

      9日にザ・ドリフターズ出演、ハプニングスフォーと対バンになったこともあるという。

 

                 

      こちらのレコードは、1968年3月に制作されたもので結婚記念自主盤でした。

     コンパクト盤で「モリとロコ」、「結婚しよう」、「愛をこめて」、「愛の森」の4曲入りでした。モリとロコというのは新郎新婦の”加森さんとヒロコさん”のこと。クニ河内さんは3曲作曲しており、ハプニングス・フォーは歌と演奏をしています。結婚式の参列者に配布したしたものではないでしょうか。”WEDDING RECORDS” と書かれていますね。 ニヤリ

 

        

 

        こちらは、解散後に出されたクニ河内さんのソロシングルです。

       日本歌謡祭’72作曲家グランプリ受賞曲でした。

       ハプニングス・フォーは2001年12月に再結成して2002年3月には「トウキョーブガルー/恋人よ」の新曲も出されたようです。

       クニ河内さんは、いろんな歌手の作曲や編曲をしており、ザ・タイガースの「都会」、「怒りの鐘を鳴らせ」、ラストシングル「誓いの明日」や野口五郎「女友達」、因幡晃、中村雅俊・・・CMソングなども結構手掛けていて、一番印象的だったのは「ピッカピッカ一年生」ですね~(歌っていたのもクニさんでしたよ~初めてのおつかい~~ニヤニヤ

 現在は北海道の十勝、帯広市に在住しており、自宅を拠点として音楽活動を続けておりましてハプニングス・フォーによる小ライブコンサートを開催したことなどもありました。

 

 調べて見ましたら、ぺぺ吉弘さんは、誠に残念ながら2009年12月13日にお亡くなりになっておりました・・・。

 

   最後に「G線上のアリア」をどうぞ~~~