女性GS(グループサウンズ)1968年 | 芝ちゃんのブログ

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青少年時代の歌番組等の思い出、時に現在の私事エトセトラ

 

  GSブームの全盛期、1968年には、もちろん全員女性だけというGSも数々存在しておりました。

 

 しかし、レコード発売をしたのはたった1バンドだけ、フォーククルセダーズの「帰ってきたヨッパライ」が大ヒットしたことによるアングラブームに便乗した色物的なグループで歌番組にも何度か出演していたので記憶に残っている方はそれなりにいるはずです。

    そのバンド名はピンキー・チックス!

  ちなみにピンキーとキラーズより先にデビューしましたよ。

(確かに、柳の下のドジョウ狙いで、まずはコロムビアからザ・ダーツが「ケメ子の歌」、すぐにビクターからザ・ジャイアンツが「ケメ子の唄」を出してこれも売れて映画出演までしたけど、それ以降は売れませんでした。飽きられたんじゃなないかな?(イーグルス、フィフィザフリー、「サイケカッポレ」の謎のGSレンチャーズなんかもアングラソングだったけど・・・・スカイホークスの「天国からのお迎え」がちょっとだけ売れたようなといった状況でした。)

  私自身が、女性GSで記憶にあるのはピンキー・チックス以外では、小島洋子とハニービーツ、アマゾンズ、キャッツアイズぐらいなもの、マーガレットというバンドもあったかもしれません・・あとは昔過ぎて忘れております。

 小島洋子とハニー・ビーツは1968年の加山雄三主演映画にも出演していました。アマゾンズはフィリピンバンドの5人組で1968年の11月頃の歌番組「R&B天国」にピンキー・チックスと一緒に出演していたのは覚えています。しかしどんな音を出していたのかが記憶にないのだが、番組的には自分たちの演奏が普通なのだが・・。ピンキー・チックスは「ヤング720」でも一回だけ観た記憶がありますがまだレコード発売前でした。

寺内タケシの「テケテケ伝」という著書の中に寺内企画のバンドということでバニーズの他にテリーズ、フェニックスなど何組かのバンドの名前が出てきていた中でアマゾネスと書いてあるのはアマゾンズの間違いだろうと思っております。

       今、聴くと、ちょっと面白いけどね~~。 下着がチラッと・・??

 

  

    この動画は、1968年1月公開の東映映画「喜劇初詣列車」ですが、「ドンパン節」で出演しているシーンがあります。まだレコードデビューはしておりません。彼女らが実際に演奏しているのかな・・・。2月公開の大映映画「女賭博師乗り込む」にも出演したようです。

 

    

 

  

 

   1968年1月に「ヤング720」に登場したのが最初だと思う。元ダンサーの丘なおみがリーダーの6人組で1967年7月に結成されました。1968年3月に「ヨッパラッタお嬢さん/そばにいて」でビクターよりレコードデビュー。(演奏はビクターオーケストラと書かれている)

 当時のプロフィールでは平均年齢が21歳となっていたが、本当かな?演奏の方は、ほとんどできなかったという声も聞くけど、ジャケットの裏ライナーノーツによると、「昼は歌と踊りと楽器のレッスン、夜は駐留軍キャンプやクラブのショーに出演し、パンチのきいた演奏を得意とするようになった」とある。やや誇張しているだろうけど、上手いとは言えないまでも頑張って演奏していたのではないだろうかと私は思います。そういえば、「スターかくし芸大会」でピーナッツや梓みちよらがベンチャーズの「ダイヤモンドヘッド」を演奏していたっけなぁ。正直言って下手くそだったけど忙しい合間をぬって短期間で頑張って練習したんだろうなぁと思いながら観ていた覚えががあります。    

 

   

 

  

       

  

   1969年には、日本ミュージカラーからGSのフローラルをバックに歌った「悲しい恋のバラード/恋のかれ葉」という曲を製作、自主制作歌謡作曲家の記念盤となっておりました。

  当時のサイン色紙。(お借りした画像であって私の所有物ではありません)

 

       

     

   ピンキー・チックスは思った以上に長続きし、1971年4月にコロムビアへ移籍して「当節ドンパン節/祭コきた晩」という曲をリリースしておりました。この時のことは全く記憶にないが1968年の映画出演の時と同じ感じなのかなぁ。衣装も同じに見える・・。

  

 

   

  

 

   

 

    上の2枚の写真は、小島洋子とハニー・ビーツが中尾ミエのバック演奏、1968年7月、加山雄三主演の東宝映画「リオの若大将」に出演したシーンです。曲目は「恋のうそつき」と「花のさだめ」じゃなかったか・・・売れなかったんじゃなかったかな。

 このバンドは実際に、まぁまぁ演奏技術があったらしいです。年齢もピンキー・チックスよりは若いです。せめて1曲ぐらいレコード発売して欲しかった。

 

  アマゾンズの写真がいくら探しても見つかりません。ダメもとでネットでも検索かけてみたがやはりまったくヒットしませんでした。キャッツアイズも同じ・・・どなたか資料を持っていませんか?誰かが持っているはず!ちょこっと何かの雑誌に掲載されていたことがあった気がします。 

  以下は、ある雑誌で見つけたその他の1968年女性GSです。私は当時全く知らなかったバンドです。都内の方なら、覚えている方はいるでしょう。

 

      

    この2枚はザ・ハイビスカスです。 左は5人、右は6人組ですね。きっとメンバーに変動があったのでしょう。

 

   

   松田智加子と東京ピンク・パールス

 

   

 

      書いてあるとおり、スターサファイヤーズです。

 

 

   

    東京エンジェル・シスターズとなっております。今、思い出したけどエンゼルシスターズという名前を雑誌か何かで目にしたことあるが、このバンドのことなのかも・・・。

    あと、ザ・スパンキー、ザ・フォクシーレディーズ、ダイヤモンドファニー(お色気路線の6人組でアウトキャストなどが所属していたテイチクレコードから1967年5月「知らない知らない/にげちゃっちゃいやよ」や1967年8月には「今宵のしあわせ/明日があるから」という曲もリリースされましたがあまり売れなかったらしい)とかも活動されていたようです。

 

  当時は女性GSというのはなかなか色んな意味で難しかったと思うんですよね。

  男のバンド好きは結局、演奏技術の高いバンドに夢中になったし、プロダクションは余計な経費がかさむこともあるだろうから、一部のファン相手では厳しかったでしょう。(生演奏ではサポートメンバーも必要になるだろうし) 曲に恵まれて売れたらラッキーだけど、なかなかね・・レコードの話が出ても見送られたりね・・。

  女性のGSファンは女性GSにはほとんど興味なかったでしょ。きっと当時はね!

  あと、大阪の「ナンバ一番」1968年11月の出演者スケジュール表には、レディーバーズという名前のGSが5回載っている。女性GSっぽいですよね。ちなみに全国「GS人気投票」で第176位に入っていました。第230位にはレディーズという名前もあります。(といっても9票ですが・・・。)こちらはたぶん女性GSでしょうね。

 しかし、静岡には当時、ガールズという名前の5人組の男性バンドがいたしな・・。
 

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