B級グループサウンズ ⑥ ザ・リンド&リンダース | 芝ちゃんのブログ

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 今回は、大阪のスパイダースとも云われ、関西では人気実力ともにNO1だったバンドについて書いてみたいと思います。

  そのバンド名は、ザ・リンド&リンダースです。

 

 エレキブームだった1965年7月に、大阪唯一のプロダクション(ターゲットプロ)の古川社長(元アイジョージのマネージャーだった)が大阪にもプロのエレキ・バンドを作りたいということで知人の加藤ヒロシさんに命じ、京都の”田園”に出演していたアマチュアバンドをスカウトし、同年8月に結成したようです。

 バンド名(ザ・リンド)は、加藤ヒロシさんが007の映画に出てくるジェームスボンドの恋人”ベエスパ・リンド”がお気に入りでその名前から取りました。エレキバンドとして毎日テレビの「みんなの広場」にレギュラー出演、エレキ人気が衰退する1966年の後半には歌とコーラスを受け持つ3人組をリンダースとし、グループ名を"ザ・リンド&リンダース"と名乗るようになりました。グループ結成と同時に”ザ・リンド友の会”が出来て会員数はかなり多かったという。 ザ・タイガースはアマチュアのファニーズ時代には何かとお世話になったようです。

 私自身は、1967年の春頃に「ギター子守唄」というレコードを兄から貰っており、いい曲だなぁと思って聴いていましたが、このバンドのことは全然分かっておりませんでした。まだ、テレビで観たことも聴いたこともなかったし・・・。

  ザ・リンド&リンダースという名前は1967年の後半に、↓これを見て初めて知ったのですが、「ギター子守唄」と同じバンドとは思っていませんでした。右は1968年物です。

 

      

 

   そうです!フィリップスレコードのカンパニースリーヴ(レコード盤の袋です!)で知ったのです。

   この袋は大好きでしたね。海外のバンドや国内のサベージ、マイク真木、坂本スミ子、森山良子、スパイダース、ジャガーズ、カーナビーツ、パープルシャドウズ、ヤンガーズなど1966年から1969年まではこのような袋でした。1968年にRCAビクターも真似?してブルーインパルスやリード、和田アキ子、森田健作、藤圭子などの写真入りで1970年まで赤い袋でちょっと似たような感じでした。

   ところで、リンド&リンダースは、国内のデイ&ナイツやB&B7のように”&”が付くから似たような歌謡グループ系だろうと勝手に思い込んでいました。日本には&なんて付くGSはほとんどいなかったから・・・。

 

     

     左は三枝守とデイ&ナイツ、右は原トシハルとB&B7(前列左端は森田公一さんです。上段右は後にピンキーとキラーズのリーダーになったジョージ浜野さんですね)

 

   1968年のGSブームの時にはテレビで観てはいるはずだが(すぐ上の姉が一緒に”銀の鎖”とか”ハハハ”なんかも観てたよ~と言っていたから間違いない!)、なんか変な先入観があって軽くスルーしていたのだと思う。そんなわけで、姉はそれなりに覚えているし、妻も加賀テツヤを中心に結構覚えているみたいだ~。

   このGSに特に興味を持つようになったのは解散後5年ほど経ってからで、古レコード屋で買った「売られたギター」を聴いて病みつきになり(特にB面が良い)、「銀の鎖」・・・と収集するようになりました。  

   東京とは違う、ローカルっぽい歌詞や歌がいいんですよ。と同時に後悔しましたね、そんなに頻繁には全国ネットの番組に出ていたわけではなかったから(スウィングウエストの方がメディア露出は多かった)、きちんと観ておきたかったと・・。 

 

       

 

    1967年2月発売のデビュー曲は加賀テツヤさんソロの「ギター子守歌」、スタートはバンドスタイルでは出してもらえなかった。

    1967年3月「燃えろサーキット」はバンドで発売、ボーカルは加賀テツヤではなく高木さんによる泥臭い1965年頃の歌謡曲です。イントロが面白いけどね。左から、加賀テツヤ(メインヴォーカル)、高木和来(サイドギター&ボーカル)、向井周二(迎修二でヴォーカル)、宇野山和夫(ベース)、島明男(ドラムス)、加藤ヒロシ(リードギター)、榊テルオ(ヴォーカル、何故かギターを抱えている・・)

    この年の春から夏にかけて、高木、迎、島が脱退して、代わって浜田藤丸(ドラムス)と堀こうじ(サイドギター)が加入しております。

 

 

       

 

        第3弾は何故か再び加賀テツヤをフィーチャーして1967年8月発売で「売られたギター」ですが、B面の「あした陽が昇ったら」の方がもっと好きです。特にメロディラインがグッド! 前作が売れなかったから再び加賀テツヤのソロで勝負かけたのかな??

    第4弾は1968年1月のGS全盛期に発売した「銀の鎖」、典型的なGS調のマイナーバラードで、彼らのもっとも売れた曲でした。 衣装はいかにもGSっぽいですね。

    GSメンバーには相応しくない?サラリーマン風が映っていることにちょっと違和感あり・・失礼(笑)。ベースの実力者でしたけどね。

    上段左から、宇野山さん、加藤さん、新加入の浜田さん、下段左から堀さん、加賀さん、榊さん。 オリコン42位のヒット。

    おそらく、東京での活動に力を入れ出した時期でしょう。都内のメジャーどころのジャズ喫茶にも結構出演していますね。

    どちらかというと、加藤ヒロシさんのセンスと演奏技術、加賀テツヤさんの人気に負っていた部分が多かったのではないでしょうか。

    

       

    「恋にしびれて」は「銀の鎖」のB面でしたが、ハイテンポなこちらの曲も評判が良く、初版ではペラジャケットだったのが、追加のセカンドプレスではダブルジャケになりました。 GS人気投票では26位で5392票でした。

    第5弾は1968年5月の「夕陽よいそげ」でこちらはオリコン51位のヒットとなりました。

    最後にセリフが入って少女ウケする感じの歌謡曲でした。イントロが超お気に入りです。(加藤さんがバーンズのブラックバイソンというメッチャカッコいいギターで奏でていたようです)

    この頃が人気のピークでしょうね。この曲から宇野山さんから毛利さん(ベース)に代わっています。最年少でした。

    この曲もB面の「はなれぼっち」も好きです。A、B面とも加藤さんの作曲ですね。坂本スミ子さんへ提供した「たそがれの御堂筋」にどことなく似たもの悲しい曲です。加藤さんの曲でフォークルや坂本スミ子さんも歌った「戦争は知らない」も名曲でした。

 

       

   

    第6弾は1968年8月発売のR&B系の「ハ・ハ・ハ/フォーデイズラブ(四日の恋)」でA面はシカゴのマウスの日本語カバーでしたね。 テンポの良い曲で何となく記憶あります。

    しかし、残念ながらヒットしませんでした・・・これがもう少し売れていたらアルバムが出せたと私は思うのですよ~~

    アルバムを発表できなかったのは実に残念でなりません

    第7弾は1968年11月の「夜明けの十字架/さよならアリババ三世」です。A面は加賀さんの知り合いだったジョージというトランペッターがベトナム戦争で死んだということで彼が作詞した作品であり、作曲が加藤さんでした。 この年には話題づくりで?雑誌に浜辺での加賀テツヤさんのヌード写真を掲載したりもしておりました。「平凡」だったかな・・・妻も覚えており、どうやらテツヤの隠れファンだったとみた。(クラスにはファンはいなかったらしいが・・)

    1969年にシングルを一枚も出すことができなかったことも残念でした。

    大阪万博には出演したようですので解散は1970年ということになります。

    解散後、加賀さんは、マッシュルームというバンドを組んで「国定忠治の墓」や「朝のない夜」をリリースしておりました。

 

               

 

      この写真はいかしています。アイドルしていますね!!  右の写真は加賀さんです。            (Mさんより提供

 

 

         

                当時、梅田にあってリンド&リンダースの店とされていた「ゴーゴーGT」というアングラ喫茶に出演していたターゲットプロ所属の3バンド合同写真とのことです。

     ザ・リンド&リンダース、ザ・ナポレオン、ザ・ロータス・イータス、あと関係者と思われる方も・・

     一番長身でメガネかけている彼は、ロータス・イータスのメンバーですよね。(すごく足が長くないか~) 真ん中の加賀テツヤさんの右隣もロータス・イータス、左はナポレオンのボーカルだった福沢さんでしょう。後方で帽子を被っているオジさんはプロダクションの社長だったりして?違うか?まぇ、関係者であることは確かでしょうね。その前に立っている一番若く見える彼は誰かなぁ?ボーヤでしょうかね??

       

 

          

             

     次の写真は、若々しいザ・ロータス・イータスの4人組バンド。(メジャーデビューならず)

    ロータス・イータスのこと、もっと詳細が知りたいがよくわかりません。誰か教えて・・・

 

    もう一枚の写真には加藤さん(右端)がブラックバイソンを抱えているのが確認できますね。当時国内には一本だけだったらしい。これは「夕陽よいそげ」の曲の時でしょう。   

         

    「ゴーゴーGT」にリンド&リンダースが多忙で出演できないときには、ザ・ナポレオンやザ・ロータス・イータスが出演していたようです。

     ちなみに、1969年4月締め切りのGS人気投票では、リンド&リンダース第26位、ナポレオン第88位、ロータスイータス89位となっておりました。

 

         

 

         

         

         

   

         上の方の写真は、ザ・リンド&リンダースだけど、

    加藤さんがドラムスを叩いていて、藤丸さんがトランペットを吹いているじゃないですか。

    ということは、「夜明けの十字架」を歌っているシーンかもしれないね。

 

    

   

  ザ・ナポレオンです。真ん中の北井さん(サイドギター担当)が少しジュリーに似ていて一番人気だったそうです。しかし、画像が悪くて恐縮です。

 ザ・ナポレオンはシングルを2枚発売されておりましたが(加藤さんの作曲)、「ゴーゴーGT」という店名と同じタイトルのオリジナル曲も歌っていたそうで結構人気はあったようです。

 このバンドはテレビで観た記憶はないけど、雑誌で何度か見かけていたのでバンド名だけは当時から知っていました。

 

         

           写真では、右から、福沢さん、中島さん、北井さん、溝さん、小野さんです。

 

        

 

    当時、リンド&リンダースと色々とおつきあいがあったというMさんが貴重な画像を送って下さいました。ロータス・イータスはMさんから初めてお聞きしました。GS研究家だった黒沢さんも知っておりませんでしたので、やはり地元の方には敵わないです。

    

           

 

        

       「復活ステージ」なんかも地元で開催したこともあるようですが、非常に残念ですが、加賀さんと藤丸さんは既にお亡くなりになっております。加賀さんがお亡くなりになられた後、「ラストステージ2013」も開催されており、その動画を見たら、宇野山、榊さん、堀さん、島さん・・皆さんお元気そうでした。加藤さんや毛利さんにも参加して欲しかった・・・。宇野山さんは渋くなられていい感じです!機会があったらギョーザ食べたい。(笑) 「味奉行」じゃなかったかなぁ・・一度ネットで注文してみようかな・・・。※買ってみました~~美味しかったです!!

 

 

         

          「横浜プリンス」 1969年1月 ザ・キャンディーズはカーナビーツの弟バンド。

       ザ・ラヴはレコードデビュー前ですね。間もなくして姉が買った「セブンティーン」の新人紹介ページで見ました。ザ・フェニックス・・いましたね。461って何?491の間違いじゃないかなぁ。テリーズは何かね・・全体的に地味だった印象があります。

 

         

          「池袋ドラム」 1968年3月 ザ・ドリフターズも出演しております。

        ザ・ダックスはブルーインパルスと改名する前からジャズ喫茶で活躍していた。

        レコードが発売見送りに終わってたアタックメンもこの頃は活躍していますね~

     

          

        1968年1月、フィリップスレコード祭  八王子サマーランドにて  「銀の鎖」を出したばかりの頃ですね。

 

                

                 ユーチューブで見つけた映像 (八重歯が印象的と姉が言っておりました)

 

   書き忘れていましたが、1968年の全盛期にはノーベル製菓のアマンドキッスのCMに出て おりましたね。 

   ♪ アマンドキッス、アマンドキッス 恋にしびれた アマンドキッス~~君にあげたい ノーベルアマンドキッス!♪

   止められませんね!!  この懐かしい動画を観たいけど・・・全国を探せば絶対持っている人がいるはずですけどね~~ちなみにノーベル製菓の会社には残っていないとのことです。

   妻から聞いたのですが、”R&B天国”で「ハ・ハ・ハ」を観た際に・・・この番組で踊っていたティーンズというゴーゴーガールの中にクーコがいたよって!(後の”青い三角定規”のヴォーカルになった西口久美子のことだとさ!)、え~っ全然覚えてんわ・・・恐れ入りました。

 

     

     加賀テツヤさんのサインはとてもわかりやす~~いデスネ! 

 

      

    

    右の写真でボーカルを務めているのは榊テルオさんですね。彼は上手でしたね。

    加賀テツヤさんはタンバリンとかは持ったりしなかったのかなぁ。