●浮浪児
◆物乞い、スリ…戦争が生み出した「浮浪児」その厳しすぎる生活
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/66375
2019/08/13
本当の戦争のはじまり
戦争の犠牲となるのは、いつもか弱き者だ。敗戦後、日本には戦災で両親を失った戦災孤児の数が約12万人にのぼったといわれている。このうち、引き取り手がおらず、路上で身一つで生きなければならなくなった「浮浪児」と呼ばれた子供たちは3万5千人に上ったと推測されている(「朝日年鑑」1947年)。
 
◆国に棄てられた数知れぬ浮浪児 「1匹2匹と数えられ」
https://www.asahi.com/articles/ASK7Z4CHWK7ZULZU006.html
2017/08/18
――汚名、とは?
「浮浪児と呼ばれた子どもの大半は戦争孤児です。学童疎開中に空襲で家族を失った子もたくさん路上にいました。だれも食べさせてくれないから、盗みを働くほかなかった。不潔だ、不良だと白い目でみられた。『浮浪児に食べ物をやらないで』という貼り紙まで街頭にありました」
 
◆浮浪児とは - コトバンク
〘名〙 両親を失い、あるいは親や保護者のもとを離れ、一定の住所のない子ども。 ※肉体の門(1947)〈田村泰次郎〉「浮浪児と、ルンペンとが〈略〉覗きに来た」.
 
◆「駅の子」 生きるために闘い続けた戦争孤児 | NスペPlus - NHK
https://www.nhk.or.jp/special/plus/articles/20180905/index.html
2018/09/21
昭和20年8月15日、終戦を迎えた日本。しかし、ここから本当の闘いが始まった子どもたちがいた。親を失い、路上で生きることになった戦争孤児。当時「浮浪児」「駅の子」とも呼ばれた彼らが、その壮絶な経験を語ることはこれまでほとんどなく、詳しい実態は分かっていない。今、ようやく語り始めた「駅の子」たち。彼らの証言から、その空白の歴史に迫る。
 
◆ガード下の靴みがき「台詞入り」 宮城まり子 戦後の名曲 Cover 華之将
88,876 回視聴  2012/05/03
https://youtu.be/hR539wtW0dY
藤本華之将
チャンネル登録者数 1.07万人
「ガード下の靴みがき」(1955年8月発売).....元歌:宮城まり子、作詞、宮川哲夫、作曲:利根一郎....歌手、宮城まり子は、貧しい母子家庭に出生、幼くして母、弟と相次ぎ死別するつらい少女時代を送ったと言う。その意味ではこの歌は宮城まり子自身の人生を象徴している唄かも知れません。戦後10年経ち、私が7歳時の歌だが、この歌は子供心に鮮明な記憶がある。当時私の周りにも貧しい家庭が多く、靴磨きで生計を立てている家庭もあった。それも共感を呼んだのかも知れません。日本は今豊かですが、幼い子が靴磨きをしてその日を暮らした時代があったんですね。宮城まり子は1968年に肢体不自由児の社会福祉施設「ねむの木学園」を設立。身体障害者の社会参加を訴えているのは有名ですね。宮城まり子は舞台でこの歌が自分の人生を変えたと話していました。....
晩年はねむの木学園の資金を信頼する職員が使いこんだり、波乱の人生だった。2020年3月21日ご逝去、93歳。本名:本目 眞理子(ほんめ まりこ)