◆あまごい 【雨乞い】
    ひでり続きの時、雨が降るように神仏に祈ること。
 
◆雨乞い - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/雨乞い
雨乞い(あまごい)とは、旱魃(かんばつ)が続いた際に雨を降らせるため行う呪術的・宗教的な儀礼のこと。
祈雨(きう)ともいう。
世界各地で見られるが、熱帯乾燥地域で特に盛んに行われる。
世界の多くの文化圏に「雨は神からの贈り物であり、それが途絶えるのは神の罰である」という観念があった。
方法は違えど、世界中の雨乞いの儀式は神の注意を惹き、喜ばせ、同情を買う目的で行われる。
雨乞いには実際に旱魃になった時に行うものと、定期的に行われるものがある。
雨乞いは部族の中で賢者として尊敬を集めている人物が儀式を取り仕切り、神と人々との間を取り持つ。
こうした人物は雨乞い師と呼ばれる。
例えば、『旧約聖書』では神が旱魃を起こし預言者エリヤを通じて異教の神バアルへの信仰を捨てるように人々を諭す場面がある。
また、天候は月の満ち欠けと関係があると考えた社会では、雨乞いで女性が重要な役割を果たした。
世界の様々な文化圏でカエル、ヘビ、サンショウウオ、カメなど、雨や雨を司る神と関係があると考えられている生物があり、雨乞いの儀式では生け贄や小道具として用いられる。
 
◆生贄(いけにえ、生け贄とも)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E8%B4%84
神への供物として生きた動物を供えること、またその動物のことである。供えた後に殺すもの、殺してすぐに供えるもののほか、そもそも殺さずに神域(神社)内で飼う場合もある。

『旧約聖書』『レビ記』にある贖罪の日に捧げられるヤギは、「スケープゴート」の語源となった。

動物だけでなく、人間を生贄として供える慣習もかつてはあり、これは特に「人身御供」と呼ぶ。
 
◆日本
過去の事例 
日本では 、『日本書紀』皇極天皇元年(642年)に牛馬を生贄にしたと言う記録があり、6世紀末 - 7世紀頃の遺跡からは考古学的資料として牛の頭骨が出土する事がある(道教呪術儀礼の影響による)。これは雨乞い儀式の一環であり、農耕にとって重要かつ貴重な労働力(存在)たる牛馬を殺し、それを神に奉げる事によって雨を降らそうとしたものである(河伯信仰ともかかわってくる)。

日本神話では、ヤマタノオロチの生贄として女神であるクシナダヒメが奉げられようとしたが、スサノオがオロチを退治して生贄を阻止した話が有名。一説に、生贄行事を廃止させたことを物語に(神話化)したともされる。女性が荒ぶる神を鎮めるために身を奉げた神話としては、ヤマトタケルの妻であるオトタチバナヒメの話もある(これも水神に関わる)。
 
◆雨乞い儀式が最強すぎて大荒れに。 - 秩父・仙台まほろばの道
https://blog.goo.ne.jp/inehapo
2017/06/09
海外のお話。場所はアフリカ。
なんだか、世界中で豪雨の被害がありますね。
水の災害が増えているような・・・。
これから梅雨に入るので、気になってしまいます。
さて、興味深いニュースですが。
世界中で雨乞い儀式は行われているのですね。
日本でも「雨乞い」の話はたくさんあります。
でも、雨乞いとは言うものの、
いったいどんなことするの?と思ってしまう。
例えば、雨女とか言われるように何かをすると雨が必ず降る人が
旱魃している所へ行ったら雨が降るんじゃないか、と思うくらい、
自然な事なんだろうと思うのですが・・・。
 
◆雨乞いの唄
9,571 回視聴
https://youtu.be/Y3F30apsh_A
dannpatiya
2009/02/17 に公開
 
◆[伝統文化] あめあめふれふれ、さぬきの雨乞い行事 | 香川県ふるさと文化
https://www.pref.kagawa.lg.jp/nosonseibi/takarabako
香川用水が本格通水した
1975年(昭和50年)頃まで、
香川県の農業用水などは、
日照りによる水不足に悩まされていました。
特に戦前までは各地で
さまざまな雨乞い行事が行われていたそうです。  
伝. 籠もって、もらって、怒らせて、踊る.
 雨乞いの方法は大きく五つに分かれます。一つは「籠もる」。
 氏神さまや竜王さまに籠もって雨を祈願します。
 讃岐の国司であった菅原道真は、城山神社に籠もって断食し、雨乞いをしたと伝えられています。
 「もらい水」というのは、降雨に御利益があるという社寺や淵の水をもらい、神前に供えたり、淵や池に入れて雨乞いをする方法です。
 水の代わりに、こんぴらさんなどから火種をもらって、たき火をたくこともありました。
 水神や竜神がすむという場所に不浄物を投げ捨てるという「竜神を怒らす」方法もありました。
 有名な「雨乞踊」は、鐘を打ち、太鼓を鳴らし、踊ることで雨が降るのを願います。
 
◆雨乞いの儀式・現代版。意図的に雨を降らせる「人工降雨」って何だ?
https://www.gizmodo.jp/2019/06/ibm-mugendai-rainmaking
2019/06/27
意外と長い歴史があります。
もうすぐ本格的な夏ですが、ここ数年は本当に暑いですね。突如やってくるゲリラ豪雨はまるで亜熱帯地方を思わせる一方、カラ梅雨や貯水池周辺に雨が降らないことで、水不足の心配は常につきまといます。
IBMのWebメディアMugendai(無限大)では、意図的に雨を降らせる「人工降雨」という研究が紹介されていました。はたして、人が天気をコントロールするなんて本当にできるのでしょうか…。
 
◆雨乞いの話|戸隠の歴史|戸隠神社について|戸隠神社
https://www.togakushi-jinja.jp/about/history/myth03
雨乞いの話.
戸隠の九頭龍権現と水に関わる伝説も有名です。
戸隠には今も日照りの時など雨乞いのために登山する信者が多くあります。
そして戸隠の山奥にある種池という池からお水を戴き、桶にいれて戸隠神社にお供えし、そこで神主から雨乞いの祈願をしてもらい、その水を絶対に地につけないように大事に自分の郷里の氏神様の田んぼまで運び、そこで祈願の報告をして、それぞれの田んぼに注ぐと、たちまち恵みの雨を降らせてくれるという。
そんな話を今でも聞くことができます。そしてそれは実際に行われてもいるのです。
 
◆雨乞いをする本当の意味:山田智恵のビジネスアナトミー
https://blogs.itmedia.co.jp/businessanatomy/2014/02
2014/02/20
雨が降るようにお祈りをする雨乞い。
儀式として、山頂で火を焚いて太鼓をたたいたり、水を汚すことで水神を怒らせて雨を降らせようとするようなやり方もあるそう。
 
この儀式は何故行うのでしょうか?
 
昔の人だから、迷信を信じてやっていた?
 
私が聞いたことがあるのは、雨乞いをやることで雨が降るわけないことは、昔の人も分かっていたのだそう。
科学的な知識はなくても、人生の中で何度祈ってもうまくいかないことなんて沢山あるのは、きっとどの時代に生まれても一緒。
 
じゃあ、なぜ雨乞いをするのか?
 
◆ビジネスでも同じ!雨乞いする祈祷師が必ず雨を降らせることが出来る秘密
https://natsuki-kanazawa.com/praying-for-rain
2018/12/24
『雨乞い』という儀式は知ってますよね?
あの雨乞いという儀式は日本だけの儀式ではなく、世界各地で大昔からやっている儀式だそうです。
それぞれの地域でやり方は異なりますが、共通するのは雨というのは神様の機嫌によって降ったり降らなかったりすると考えられていて、『祈祷師』と呼ばれる人が中心となって儀式をとりはからい、神様の機嫌をとって雨を降らせてもらうという考えのもと行われているとの事です。
この雨乞いを取り仕切る祈祷師の考え方はビジネスにおいても参考になります。

今回は、この祈祷師が100%雨を降らせることが出来る理由とビジネスへの活用の仕方についてお話しします。
★この記事を読むと得られること★
・祈祷師が100%雨を降らせられる理由を知れる。
・ビジネスを成功させるシンプルな原則を知れる。
・勇気がもらえる名言を知れる。
目次
    1 優秀な祈祷師は100%の確率で雨を降らせることができた
    2 なぜ魔法使いでもない祈祷師が100%雨を降らせることが出来たのか?
    3 結果が出るまでやり続けたことを成功と呼ぶ
 
 ◆機関誌『水の文化』機関誌 11号  洗うを洗う
http://www.mizu.gr.jp/kikanshi/no11/09.html
 《雨乞い》水・河川・湖沼関係文献研究会    古賀 邦雄 (こが くにお)さん
 2003年3月、大阪・京都・滋賀において「世界水フォーラム」が開かれる。
 世界水フォーラム成功の祈願祭が2002年4月29日、京都の貴船神社にて行われた。
 翌日の京都新聞は「晴乞、雨乞の神事が千年振りに再現された。
 皇室が平安中期まで晴天を願って白馬を、雨を願っては黒馬を奉納した。
 二頭の神馬が神職に手綱をとられて拝殿の周りを三周した」と報じた。
 生きた馬は、やがて描かれた馬に変わり、願い事を書いて奉納する現代の絵馬に変遷していく。
高原三郎著・発行『大分の雨乞』(1984年)では、絵馬と雨乞について、「農耕時代に入り、支配権力があらわれると彼等は君主水徳の観念により、水、雨の順調に責任があるとされた。
旱魃が激甚となると、人を殺して神へ供え、さらに時代が下がると人に代わって牛・馬が犠牲とされ、さらに生き馬に代わって木馬、紙馬を献上し、そして今日のように神社に絵馬を献上することとなった」と論じている。
この書は雨乞の歴史、雨乞の習俗などから構成され、大分の雨乞をくまなく調査した結果が反映されている。
また、中国、朝鮮、台湾、琉球王朝、アイヌの雨乞にも言及されている点がおもしろい。
 
◆コラム―雨乞い踊り:中国四国農政局 - 農林水産省
http://www.maff.go.jp/chushi/kj/niki/3/amagoi_matsuri.html
雨乞い踊り
雨の少ない香川では、昔から雨乞い行事が行われてきました。
当初、雨乞い行事といえば、神社や寺院に祈願するものでしたが、時代が移り変わるにしたがって、雨乞い踊りが行われるようになっていきます。
雨乞い踊りは、伝統文化として現在に語り継がれているものも多くあります。
代表的なものでは、 滝宮(たきのみや)念仏踊りが挙げられます。
平安時代、讃岐(さぬき)の国司を菅原道真(すがわらみちざね)が勤めていたころ、この地を大干ばつが襲います。
干ばつで苦しむ農民を見かねた道真は、城山(現坂出(さかいで)市)に登り、神に降雨を祈願しました。このとき道真は断食7日の祈願を行なったといいます。
道真の熱い願いが天に届いたのでしょう。それまでの干ばつがうそのことのように大雨が降り、喜んだ農民たちは、道真の屋敷の庭に集まって感謝の踊りをしました。
これが、滝宮念仏踊りの始まりだといわれています。後に讃岐に流された法然(ほうねん)が仏教を広めるため、南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)をこの踊りの音頭に取り入れたことから、念仏踊りと呼ばれるようになったと伝えられています。
この「滝宮念仏踊り」や、まんのう町で行われる「綾子(あやこ)踊り」は、国の重要無形民族文化財に指定されています。
 
◆えま  ゑま 【絵馬】
    願いごとのために、または願いごとのかなったお礼に、神社や寺に奉納する額。
 
◆絵馬 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/絵馬
絵馬(えま)は、神社や寺院に祈願するとき、あるいは祈願した願いが叶ってその謝礼をするときに社寺に奉納する、絵が描かれた木の板である。
個人で奉納するための絵馬として、小型で馬などの絵が描かれて余白や裏面に祈願の内容や氏名などを書くものが、社寺で販売されている。
大人数で奉納する絵馬は、大型で、画家に描かせるなどして奉納者が用意することもある。
小型の物については関東は五角形(家型)の物が多いが、これはかつて、板の上に屋根をつけていた名残である。
近畿では四角型が主流だが、京都は横長の板に額縁のように枠を付けたものが多く、奈良では縁を黒く塗って枠に見せたものが多い。
絵馬の奉納は個人的な動機による神仏への願掛けであり、かつては人に見られない時間帯を選んで行われた。
また、今日のように絵馬に実名を記すことはなく、「寅歳女」のように生まれた干支と性別のみを記した。
歴史
かつて、神々は騎乗した姿で現れるとされ、神輿の登場以前は神座の移動には馬が必須と考えられた。
常陸国風土記によれば、崇神天皇の代より神事の際に馬を献上する風習が始まったとされる。
奈良時代の『続日本紀』には、神の乗り物としての馬、神馬(しんめ、じんめ)を奉納したと記される。
一方、馬を奉納できない者は次第に木や紙、土で作った馬の像で代用するようになり、奈良時代からは板に描いた馬の絵が見られるようになった。
平安時代には神仏習合思想が普及し、観世音菩薩も騎乗して示現するという説が広まることで神社だけでなく寺院にも絵馬を納める風習が及んだ。
平安末期の絵馬は共同体が合同で小型の絵馬を納めることが主流だった。
 
◆神輿、御輿(みこし、しんよ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E8%BC%BF
通常、神道の祭の際に、普段は神社にいる神霊が氏子町内、御旅所などへ渡御するに当たって一時的に鎮まるとされる輿である。
輿であるから通常は担ぎ上げて移動するものを指して言うが、それを台車(御所車、牛車)に乗せて曳くものなど別形態のものも指すことがある。
祭りによっては、御輿の巡行に山車(山)、鉾(ほこ)、だんじり、などの屋台が随行することもある。
「御輿」は「輿」に「御」を付けたものであるが、さらに「御」をつけて「おみこし」と呼ばれる場合がある。
神が乗る輿であるので「御神輿」とも書かれる。
神社の神輿を一般に「本社神輿」(神社神輿・宮神輿)と言い、神社に本社神輿が1基のみ存在する神社もあれば、三社祭で有名な浅草神社のように1社で3基の神社神輿を持つ神社もある。
氏子町会が神輿を持っている場合はこれを「町会神輿」と呼び、この中で青壮年部が担ぐものを「大人神輿」、女性が担ぐ輿を「女神輿」子供は「子供神輿」と呼んでいる。
特に胴が箱型で内部が空洞の物を鳳輦(ほうれん)と呼び、実際に人間(主に天皇)や大きめの神器・依代が乗るものとして造られたのが起源とされるため小型の物は存在しない。神輿と鳳輦の定義で議論になるが、文字通りの意味を定義と捉えた場合、鳳凰(ほうおう)を付けた神輿全てが鳳輦(ほうれん)になってしまい、逆に鳳凰を冠してない鳳輦も存在するため、「皇族などの貴人が乗る輿」と定義としている書籍が多い。
これに比べて神輿は諸説あるが、鳳輦から発展し、神霊が乗ることに特化したものであるという解釈ができ、後述のように成人男性が1人で持てそうな小型の物から、中に入れそうな大型のものまである。
神輿と鳳輦を合わせて「輦輿」(れんよ)と呼ぶが、定義もさることながら、外見では判断しにくいため(特に垂幕や瓔珞が付いている場合)、双方とも「神輿」と総称されているのが現状である。