アインシュタインが残した日本へのメッセージ
 
 
http://p.tl/O-BK   に記載されていました。
 
 
 
 
近代日本の発達ほど世界を驚かしたものはない。
 
 
 
その驚異的発展には他の国と違ったなにものかがなくてはならない。
 
 
 
果たせるかなこの国の歴史がそれである。
 
 
 
この長い歴史を通じて一系の天皇を戴いて来たという国体を持っていることが、
 
それこそ今日の日本をあらしめたのである。
 
 
 
私はいつもこの広い世界のどこかに、
 
一ヶ所ぐらいはこのように尊い国がなくてはならないと考えてきた。
 
 
 
なぜならば、世界は進むだけ進んでその間幾度も戦争を繰り返してきたが、
 
最後には闘争に疲れる時が来るだろう。
 
 
 
このとき人類は必ず真の平和を求めて
 
世界の盟主を挙げなければならない時が来るに違いない。
 
 
 
その世界の盟主こそは武力や金の力ではなく、
 
あらゆる国の歴史を超越した、世界で最も古くかつ尊い家柄でなくてはならない。
 
 
 
世界の文化はアジアに始まってアジアに帰る。
 
 
 
それはアジアの高峰日本に立ち戻らねばならない。
 
 
 
我々は神に感謝する。
 
 
 
神が我々人類に日本という国を作って置いてくれたことである。
 
 
 
これは1922年にアインシュタインが日本を訪れた時に、
日本に託した言葉だと云われています。
 
その後戦争の時代に入り、このことはあまり表にでることはありませんでした。
 
現在では、この言葉の信憑性について色々言われています。
 
ただ、アインシュタインは、日本と日本人に対して、
敬愛の念を持っていた事は確かです。
 
彼が残した色々な文面には、日本を賛美する言葉が数多く残されています。
 
アインシュタインが日本で最も感銘を受けたのは、建築をはじめとする
日本の伝統的芸術であり、やさしい国民性であったと言われています。
 
日本人としては、素直に有難くこのメッセージを受け取り、
このメッセージに恥じない国に、そして国民になるよう努めてはいかがでしょうか?
 
ただ現在の日本人に、当時のアインシュタインが感銘を受けた、
日本人の特有な感情のやさしさや、優れた同情心の強さが有るでしょうか?
 
戦後、失っていった大切なものの1つの様に感じられます。
 
日本の良い歴史や日本人の素晴らしい精神性を学び、
アインシュタインがこよなく愛した、よき日本人となり、
世界平和の発信リーダーとなれる国にしていきましょう。
 
 
 
「日本を知る会」
 
 
 
あの人が日本をここまで理解してくれていた。
読んで居て感動しました。
過去の日本人は世界へ出て行き色んな事をしていたようです。
 
今何も知らない人が多くなっている。
 
知って日本人としての義務を果たさなければいけない時期に来ているのでは無いかと最近つくづく感じる。
 
 
コメント
 
2010年12月13日18:44
1: 霧崎港
日本人である事を誇りに思えなければ義務を果たす日は遠そうです
夜明け前は一番寒いぞっと…
 
 
2010年12月13日19:24
3: kou
学生時代はアインシュタインの相対性理論の理解に四苦八苦した思い出があります(汗)
やはり天才と呼ばれる人は私のような凡人が思いもつかない発想をされると学んでみて改めて偉大さに気付くことができました(ルーピーっぽい?)
その尊敬するアインシュタインが日本を日本人を愛してくれていたことに感動します。
しかし残念ながら「美しい日本人」は居なくなってしまったように感じます。
日本が本当の意味で立ち直るためには誇りある歴史を日本国民一人ひとりが知ることが必要だと感じます。
もう自虐史観はまっぴらごめんです
 
 
2010年12月13日20:07
4: 修羅
うーん、信憑性云々は兎も角、彼は日本の海老天ぷらが大好物だった事は知っています。
何度か来日しているらしいですが、必ず海老の天ぷらを何匹も食べたとの事。
日本好きだったのは事実ですね。
 
 
2010年12月17日12:23
6: 愛国主婦@埼玉6区
私もこの話は眉唾ものだと認識していますので、特に外国人に対して吹聴すると墓穴を掘る可能性があると思っています。
 
アインシュタインが日本を高く評価してくれていたということで十分ではないでしょうか。戦後の日本がアインシュタインの期待に沿えない姿に変わってしまい残念ですが、今からでも挽回していきましょう。
 
蛇足ですが、鈴木慎一先生は、アインシュタインとお知り合いだったそうですね。
 
 
2010年12月17日14:37
7: 麻生さんの大ファン
アインシュタインは、日本が面白い国だなとおもっていたのでしょうね。私は、「近代日本の発達」には、緊密なおかげさま文化がかかわっていたと思うものです。つまり、たとえば、江戸時代、下町では隣の人間の動静が透けた下着の下の体ぐらいよく見えていた、つまり、異常に緊密な情報共有社会だったのです。ペリーの来航などの大事件についても、かわら版などによって、いち早く庶民に伝わっていたと思います。この情報収集能力により、近代日本の発展があったのです。そして、これは、日本が鎖国していたことにもよると思います。おもしろいお話をありがとうございました。