1976年5月1日
朝日新聞5面のコラム「論壇」に以下のような文章が載った。
「65万人」を読んで 未来世代への思いやりこそ必要
「65万人」とは朝日新聞で連載されていたコラムで、その内容は在日コリアン(在日韓国・朝鮮人)に関することを記したものであった。「65万人」とは当時の在日コリアンの公式な人数である(非公式にはもう少し多いらしい)。
その内容を引用すると… ※赤字は筆者
~略~ そこでこれらの問題の基本にある幾つかの点を整理して提示して見たい。 ~略~
一つに彼らがなぜ日本に存在するかという点であるが、 ~略~ 彼らは日本の植民地化の過程で日本にきたのであり、この点を日本の若い人たちはあまりわかっていないということであるが、これはまちがいない。しかし、いままでこの過程を「強制連行」のイメージで強調しすぎた面はないだろうか。 ~略~
筆者の研究では、彼らは「強制連行」というよりはむしろ「移住」の線がつよい。 ~略~。
これを書いたのは田駿(でん・しゅん)という人で在日コリアンである。彼の著書「日韓の硲に生きて」から経歴を拾ってみると、
1920年 韓国平安道に生まれる。
1943年 専修大学2年次に学徒出陣、中支那派遣軍に入隊
1952年 来日
1977年 韓国民団権益擁護委員会副委員長として
差別撤廃運動に関わる。
1994年 同委員長として、在日の地方参政権運動に関わる。
田駿氏は日韓併合時代の朝鮮半島で生まれ、帝国軍人として中国戦線で戦い、1952年に来日(当時の状況からして密航か?)した人物である。戦前の併合時代や朝鮮戦争当時のことも知っている人物であり、当然、戦前戦後の日本及び日本人のことも知っている人物である。
田駿氏は、在日コリアンは「強制連行」ではなく「移住」と述べる。
他にも“「65万人」を読んで”にはこのような記述がある。
※赤字は筆者
過去のいきさつよりかは未来をどうするかという志向が是非必要であり、その点でかれらの未来世代の行く末を思うこころ根が必要であろう。われわれは未来のために過去を犠牲にし得ても、過去のために未来を犠牲にすることはできないからである。
また彼らからすれば、そのエネルギーは日本の社会に還元し、寄与する気持ちがなくては、日本の社会から信頼されず、敬遠される存在になるのは当然であるといえよう。現実の生活向上も、差別の問題も、この点を考慮に入れなくてはならないということである。
素晴らしい!!!!!!
未来のために過去を犠牲にしても、過去のために未来を犠牲にすることはできない。
日本に寄与する気持ちがなければ、信頼されず敬遠されるのは当然。
生活向上も差別もこの点を考慮に入れなければならない。
このような言動を多くの在日コリアンが行っていれば、嫌韓なんて発生しなかったのではないか?
だが実態は、被害者ぶって、特別扱いを求める在日コリアンばかりである。
それなら信頼されず、敬遠されるのは当然である。
しかしその約20年後……田駿氏が1996年に書いた本には
しかしここで考えるべきことは在日韓国人とは一体なんだということである。 ~略~ 彼らがいまいきなり日本に住んでいるわけではない。いわば戦前に強制連行されてきた人たちとその子および孫たちなのである。
※日韓の硲に生きて P104からの抜粋
なんだ!これは!
1976年には「強制連行」ではなく「移住」と書いた人物が、20年後には「強制連行」と書いている。
全くデタラメじゃないか!
この変更は民団の活動家(1977年から)になったことが大きいのかもしれないが、だからと言って嘘はいけない。それとも20年間の研究の成果で意見が変わったのであろうか?
そうではないだろう。つまり「強制連行の被害者」を演じた方が、自分たちの未来のためになるからだろう。
その方が、主張が通りやすいからであろう。
これを見れば、コリアンに誠意を示してもダメだということがよくわかる。在日コリアンが「移住」と分かっている戦前生まれのコリアンが平気で前言を翻すのだから。
自分たちが被害者を演じることで、日本人を批判し、侮辱し、差別する。
そう…これはコリアンの差別行動なのである。