『反日マスコミが伝えない親日の話』より

自衛隊PKOの活躍は続く。
ルアンダでは内戦を機に大量の難民がザイールなど周辺国に流出し、コレラ、赤痢などの蔓延により多数の死者が出る悲惨な情況にあった。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の要請を受け、医療、防疫、給水、空輸などの分野で救援活動を行うため、1994年(平成6年)9月から12月までの間、ザイール共和国のゴマなどに自衛隊の部隊が派遣された。

 医療活動では自衛隊の医官が2ヶ月間に延べ2100人の治療と、約70件の手術を行った。治療を受けた住民は次のように語っている。

 日本人は患者を親切に迎え、丁寧に治療してくれます。
医薬品についての知識も豊富で、とても効果的な医療品や設備を持っていて信頼できます。

 ゴマ市長は、以下のように自衛隊の仕事ぶりを絶賛した。

 自衛隊は合理性、規律、秩序といった多くの模範を示してくれました。そのことで、すべての仕事が非常にスムーズに進みました。何よりも私たちの模範となったのは、熱心に働く姿です。民間人にも兵士にも、彼らは誠実な態度で接してくれました。私とゴマ市民は、このことに非常に感謝しています。

(中略)

さらに朝日は「探る『派遣』にさめた目」と題して、ゴラン高原でのPKO活動のコステルス総司令官が「私は現状に満足している。それでも日本が来たいということなら、受け入れる」と語ったと報道した。

 コステルス総司令官は、この報道に「内容が不正確だ」と激怒したそうで、実際は「武器・弾薬の輸送はできない」などと相変わらず日本国内でしか通用しない理屈を並べ立てる日本政府の対応にうんざりしていたようだ。

 そのコステルス総司令官は、派遣された自衛隊の活動を見て、「素晴らしい隊員を派遣してくれたことを感謝している」「非常にプロフェッショナルで、よく訓練できている」「規律正しく、能力が高い」「他国部隊のよい刺激になっている」などと激賞した。

PKO協力法審議の際には、社会党が投票引き延ばしのために、全員が議員辞職願いを出したり、議席から投票箱まで二晩もかけるという「牛歩戦術」で抵抗したが、カンボジアPKOは成功と評価された。酷暑と危険の中で本当の汗をかいた自衛隊員たちが帰国した時、社会党議員たちは辞職願いを忘れたかのように、細川内閣のもとで6人も大臣になっていた。