●二百三高地
◆二百三高地 ロシヤの餌食からユダヤの餌食へ .
 
https://www.youtube.com/watch?v=yBqKqEk5Vww
 
◆公開日: 2014/03/15
イシヤの罠にはまって、日本は絶体絶命。皆殺しが始まる。
 
◆klmklm1237
懐かしい映画がUPされましたね。日本公開は1979年前後かと記憶しています。
今からだと35年ほど前になります。音楽はさだまさしです。
 
◆jf178082035
今の日本人に明治国家と国民にあった勇気も愛国心もない。
マッカーサーが恐れた日本人の姿がここにある。
韓国、中国との戦争がいつ起きるかわからない時代だからこそ日本人はもう一度明治国家を見直さねばならない。
 
◆にひゃくさん こうち 【二百三高地】
① 〔海抜203メートルの高地の意〕 中国,遼東半島南端,旅順の西にある丘。日露戦争の激戦地。爾霊(にれい)山。
② 婦人の髪形の一。日露戦争後流行した束髪で,前を庇髪(ひさしがみ)にし,髷(まげ)を高く結い上げるもの。
 
◆二百三高地
1980年公開の日本映画。監督:舛田利雄、脚本:笠原和夫、撮影:飯村雅彦。出演:仲代達矢、あおい輝彦、新沼謙治、湯原昌幸、佐藤允、夏目雅子、丹波哲郎ほか。第23回ブルーリボン賞主演男優賞(仲代達矢)、第4回日本アカデミー賞最優秀助演男優賞(丹波哲郎)ほか受賞。
最終更新日:2013/01/18
 
◆二百三高地   映画情報
原題:
製作国: 日本
製作年: 1980
配給: 東映
・解説
今世紀初頭、近代化したとは言え、列強諸国に比べ遅れをとる日本が、超大国ロシアに何故戦争を挑んだのか。そして、その戦争を背景に、政府、軍、民間といった様々な階級の人々がいかに生きたかを描く。脚本は「仁義なき戦い」シリーズの笠原和夫、監督は「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士」の舛田利雄、撮影は「トラック野郎 突撃一番星」の飯村雅彦がそれぞれ担当。
・ストーリー
十九世紀末。ロシアの南下政策は満州からさらに朝鮮にまで及び、朝鮮半島の支配権を目指す誕生間もない明治維新政府の意図と真っ向から衝突した。開戦か外交による妥協か、国内では激論がうずまいていた。軍事力、経済力ともに弱小な日本にとってロシアは敵にするには強大すぎた。しかし、幾度となく開かれる元老閣僚会議で、次第に開戦論がたかまっていくがロシアの強大さを熟知している伊藤博文は戦争回避を主張していた。巷でも、開戦論で民衆を煽動する壮士グループと、戦争反対を叫ぶ平民社とが対立。ある日、開戦論に興奮した民衆が平民社の若い女、佐知に殴りかかろうとしているところを、通りがかった小賀が救った。その頃、伊藤は参謀本部次長の児玉源太郎と会見、対露戦の勝算を問うていた。児玉は早いうちにロシアに打撃を与え、講和に持ち込むしか勝つ道はないと訴えた。明治三十七年二月四日、御前会議で明治天皇は開戦の決議に裁可を下した。ここに日露戦争の幕が切っておとされた。日本軍は陸と海で破竹の進撃を開始した。伊藤は前法相の金子堅太郎をよび、アメリカのルーズベルト大統領に講和の調停役を引き受けるように説得を要請する。そうしたなかでも、神田のニコライ堂ではロシア人司祭によるロシア語の講座が細々と続けられ、出席していた小賀は、そこで偶然にも佐知に出会った。思いがけぬ再会に、二人の間に愛が芽生えた。やがて、金沢の小学校教師である小賀も出征することになり、彼を慕って金沢までやって来た佐知と愛を確かめあう。小賀の小隊には、豆腐屋の九市、ヤクザの牛若、その他梅谷や米川たちがいた。戦況は次第に厳しさを増し、海軍はロシア東洋艦隊に手こずり、陸軍は新たに第三軍を編成、司令官に乃木希典を命じた。旅順の陥落が乃木にかせられた任務だったが、ロシアはここに世界一という大要塞を築いていた。ロシア軍の機関銃の前に、日本軍は屍体の山を築いていく。絶望的な戦いの中で、小賀と部下たちの間に人間的な絆が生まれていった。しかし、戦いで部下を失った小賀の胸には戦争への怒りと、ロシア人への憎しみが燃えあがっていた。十一月二十七日、司令部は二百三高地攻撃を決定した。その日、小賀は捕虜の通訳を命じられたが、「兵には国家も司令官もない、焦熱地獄に焼かれてゆく苦痛があるだけ」と拒否、その言葉は激しく乃木の胸を打った。十二月六日、乃木に代って指揮をとった児玉のもと、二百三高地攻撃が開始された。戦闘は激烈を極め、乃木は鬼と化していた。そして、三一五○名の戦死者と、六八五○名の負傷者という尊い犠牲を払い、二百三高地はおちた。しかし、小賀たちの一隊は、ロシアの少年兵との激闘の末、戦死してしまう。一ヵ月後、旅順は陥落、これが翌三十八年三月の奉天大会戦の勝利、さらには日本海大海戦の勝利へとつながった。翌三十九年一月十四日、乃木は天皇はじめ皇族、元老が居ならぶ前で軍状報告を行なったが、復命書を読み進むうちに、小賀や多くの兵のことが心をよぎり、落涙を禁じえなかった。
 
◆にひゃくさん‐こうち 〔‐カウチ〕 【二百三高地】
中国遼寧省大連市の旅順にある標高203メートルの高地。日露戦争の激戦地。
舛田利雄監督による映画の題名。昭和55年(1980)公開。日露戦争時のでの日露両軍の攻防を描く。出演、仲代達矢、あおい輝彦、丹波哲郎ほか。
女性の束髪の一。にちなんでできた髪形で、戦勝をたたえて明治38年(1905)ごろ流行した。赤熊(しゃぐま)を入れてふくらませた髪を高く結い上げ、頭頂を突起させたもの。二百三高地巻き。
 
◆にひゃくさんこうち【二百三高地】
① 〔海抜203メートルの高地の意〕 中国,遼東半島南端,旅順の西にある丘。日露戦争の激戦地。爾霊(にれい)山。
② 婦人の髪形の一。日露戦争後流行した束髪で,前を庇髪(ひさしがみ)にし,髷(まげ)を高く結い上げるもの。
 
◆世界大百科事典内の二百三高地の言及.
【束髪】より
…東京では〈洋式婦人束髪法〉というパンフレットや,〈婦人束髪改良図〉という髪形を前後左右から描いた色刷り版画が出され,大いに啓蒙宣伝された。東京を中心に次々と作り出された束髪が世に紹介され,〈夜会巻〉〈二百三高地〉〈行方不明〉〈イギリス巻〉〈西洋上巻〉〈まがれいと〉〈西洋結び〉などと名付けられた。鹿鳴館などの社交場に集まる洋装の婦人にも,また和服の一般の女性にも共通して結われ,昭和初期まで幅広く愛好された。…
【旅順攻略】より
…1904年日露戦争が勃発すると,日本はロシアの太平洋艦隊の基地である旅順をバルチック艦隊の来着に先立ち占領し,制海権を確保するため,乃木希典の第3軍(4個師団,後方部隊を含み約13万)をもってロシア軍司令官A.M.ステッセリの守る旅順要塞を陸路攻撃した。同年8月第1回の総攻撃は強襲により行われたが失敗し,10月の第2回総攻撃は正攻法によったが再び失敗,11月よりの第3回総攻撃の途中から二百三高地に重点を変更してこれを占領,ここに観測所を設けて28cm重砲により港内のロシア艦隊のほとんどを撃破するに及び,05年1月1日旅順は陥落し,講和の気運が生じてきた。日本軍の死傷は,5万9000人。…
 

 
◆203高地 - Wikipedia   
http://p.tl/pJlg
 
◆203高地 旅順港を巡る日露の争奪戦で激戦地となった海抜203mの山  
http://p.tl/Y7uY
旅順 - 明治を生きた日本人にとって、この二文字は地名以上に、様々な意味を持っていたであろう。それは世界最強のロシア軍に勝利したという感動だったかもしれない。旅順陥落の報に接し、日本中が沸きかえり、街には提灯行列が出て勝利を祝ったと聞いている。