カタカムナ文明


最初に出くわした古史古伝である。


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楢崎 皐月 (ならさき こうげつ)氏


最初手にした本にウル覚であるがこんな古度書かれていた。

炭の浄化作用について
住居のど真ん中に1㍍の深さも同じく1㍍の穴を掘り(丸か四角かは忘れた)
底に炭を30㌢まで炭をビッシリ敷き詰めてその上に土をかぶせる。
こうしておけば家の湿気取りになり悪霊の浄化にもなにる。
確かこんな感じだった。
文献はどれだったか覚えていないし手元にも残っていないから
検証は出来ない。
内容はWikipediaなどのそのままを掲載した。
大事なことなので誤字や脱字が有ると大変だ。
一度 書籍も出回っているので手にしてみるのも一考かな。

そのほかにも沢山の古史古伝はある。
各自さがしてみると良い。
楽しい時間過ごして欲しい。
日本のすばらしい文化の中で。

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楢崎 皐月(ならさき さつき、別資料では楢崎 皐月 (ならさき こうげつ) 1899年5月9日 - 1974年7月31日)は、日本の物理学者で、75歳で死去した。

明治32年(1899)5月9日、山口県東萩の実家で誕生した。その後、北海道札幌市で育った。そして、祖父の事情で上京した。

大正6年(1917)、日本電子工業・電気学校で学んだ。日本石油で「絶縁油」の開発に着手した。

昭和18年(1943)、福島県相馬郡に亜鉛から人造石油をつくるプラント工場を設立した。東條英機の要請により、満州吉林省河北の陸軍製鉄技術試験場の所長として赴任した。陸軍の製鉄所の建設地決定の為に大地電気分布の構造を実測した。

昭和19年(1944)、満州、吉林で盧有三(90歳位)老子教老師と会い、古伝(日本の超古代文明:八鏡の文字を持ったアシア族)について聞かされた。その時、老師に伝わっている鉄器の熱伝導のよさに驚いた。(注記: 木の葉でお湯が沸いた。)

昭和20年(1945)8月13日、衆議院議員で星製薬社長の星一(ほし はじめ)の援助で、星製薬内に重畳波研究所を置いた。旧海軍技術研究所の関係者や技術者と「化成会」を創設した。「重畳波研究所」の研究テーマは、「日本の新しい農業技術の開発」だった。

昭和23年(1948)、全国の大地電位の分布実測調査(3年間で、17,000ヶ所を調査)を始めた。昭和24年(1949)、1月から3月頃、兵庫県六甲山山系の金鳥山(俗称:狐塚付近)の生活中に平十字(ひらとうじ)と出会った(注記: 平十字: カタカムナ神社の宮司)。平十字の所持していた巻物のカタカムナ文字を大学ノートに書き写した。(注記: カタカムナ文字: ペトログラフ(古代文字))

昭和25年(1950)、「植物波農法」の指導を始めた。

昭和32年(1957)、全国静電研究連合会を発足した。

昭和41年(1966)、「日本の第一次文明期の特徴」で、昭和19年~24年に体験した先住古代文明(カタカムナ)の知識について語り始めた。昭和43年(1968)、「古事記」等の古文書の読解を始めた。 

昭和44年(1969)12月4日、弟子になる宇野多美恵(52歳)と出会う。昭和45年(1970)6月11日、企画された単位ごとの「天然会」(全8部会)を発足した。宇野は、婦人部会(宇野天然会)で『相似象』を発刊(宇野天然会、第二号の発刊を機に「相似象学会」と改称)した。相似象学会誌は、全26巻発行された。昭和49年(1974)7月に『相似象』第7号を発行した。同年(1974)7月31日、75歳で死去した。(宇野多美恵(57歳))





カタカムナ文明(カタカムナぶんめい)は先史時代の日本に存在したとされる文明。
縄文時代以前、旧石器時代末期に存在したとされる。極めて高度な科学技術や独自の哲学体系を持っていたことが、神代文字であるカタカムナ文字で記された「カタカムナ文献」から推測されるが、現在においてこの文明の存在を示す建造物や遺物は、この文献以外には見つかっていない。
日本で初めてカタカムナ文明の存在を唱えたのは楢崎皐月(ならさきさつき)である。楢崎は5年をかけてこの文書(通称「カタカムナ文献」)の解読に成功。その内容が自然科学的な実用書であった事を突き止めた。この文字はそれが祀られていたとされる神社の名から「カタカムナ文字」と呼ばれ、その文字を使用していた文明として「カタカムナ文明」が提唱された。

カタカムナ文献
「カタカムナ文明」の実在を示しているとされる書物である。略称「カタカムナ」。異称『神名歌集』、『カタカムナのウタヒ』、『平十字文献』。化美津文字(かみつもじ。「カタカムナ文字」ともいう)によって記されている。原本は所在不明の神社「カタカムナ神社」の御神体であるとされており、江戸時代に作成された巻物であるとされる。文中に「アシアトウアン ウツシマツル」という言葉があることから、この「アシアトウアン」という人物が写本を作成した可能性が高いともいわれる。またその語感から蘆屋道満との関係を主張する人もいる。

内容は全てカタカムナ文字で構成された詩歌の形で書かれており、生命の本質や宇宙全体の構成について記されているという。

発見の経緯
科学技術者の楢崎皐月が植物波農法の研究中に出会った、父が「カタカムナ神社の宮司」と名乗る、平十字(ひらとうじ)が所持する文献により発見したとされる。

楢崎によれば、1949年(昭和24年)12月、兵庫県六甲山系の金鳥山中での地質調査中に、父が「カタカムナ神社の宮司」であったと名乗る平十字という猟師と出会い、その神社の御神体である巻物を見せてもらったという。そこに書かれていたのは円と直線で作られた幾何学的な文字であった。これが貴重な文献であると直感した楢崎は、平十字に書写を願い出た。平十字は快諾し、楢崎は研究用に持っていた大学ノートにその文字を全て写し取ったという。その文章量は一日で写し終わるようなものではなく、それから20日間、楢崎のところへ巻物を手に平十字が毎日通ったという。楢崎はそれまで度々実家に葉書を送って安否を知らせていたが、このときは一ヶ月間葉書をよこさなかったと楢崎の娘は述懐している。

カタカムナ文字
カタカムナ文明において使用されていたとされる文字。正しくは「化美津文字」(かみつもじ)という。カタカムナ文献はこの文字で記述されている。

中央に「ヤタノカカミ」と呼ばれる図章が記される事から、別名八鏡文字(はっきょうもじ)ともいう。

特徴
いわゆる神代文字であるが、他の神代文字に草書体のような曲線形が多いのに対し、カタカムナ文字は幾何学的な円と直線からのみ成り立っている。
一般的な神代文字が右から左へ縦書きされるのに対し、カタカムナ文字は時計回りで渦巻状に記され、中央から読み進める。このため複雑な文章は書けず、カタカムナ文献は全て簡潔な歌で表されている。
濁点や半濁点、小さいァやッなどの小書き文字は存在しない。
渦巻きの中央にはそれぞれ「ヤタノカカミ」「フトマニ」「ミクマリ」と呼ばれる図章が記されている。
二文字あるいは三文字が重なり合って一文字の新しい字形を作る。
植物波農法
植物波農法研究家の山野井昇によれば、楢崎皐月が名づけた「植物波農法」とは実は「マイナスイオン農法」なのだという。

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色んな方面からとらえている人が多い。
日本人のルーツになる文字。
悠久の時間に浸ってみるのも良い。
なお古史古伝になるモノは他にも幾つもある。
探ってみるのも楽しいのではないかな。


日本人て変な民族と外人が見るのもこのあたりに有る。