リンパ整体師の知(とも)です!
お越しいただきありがとうございます🙇
今回は私のうつ病について
私がうつ病と診断されたのは2019年1月のことです。
きっかけはその半年前に発覚した主人の病気でした。
見つかったときにはステージ4の大腸癌で、すでに肝臓まで転移しており、腫瘍マーカーも6000超え(正常値は5以下です)ですでに手遅れと感じました。
私は父親も白血病で亡くしており、このレベルでの闘病はかなり過酷で、しかも治る見込みは薄いことを身を持って知っていたため、積極的な治療をすすめることを躊躇しました。
看護師ならではの抗癌治療の辛さや、たどるであろう経過がわかってしまい、なんとか楽に過ごせる方法を選んで欲しかったのです。
しかし、52歳と若かったっため、医師にはなぜそんなに消極的なのかと治療を迫られ結局、手術、抗癌剤治療をしました。
その頃、主人は自身の夢だった林業に携わるため、私と子供たちとは離れ、単身赴任していました。
そこから引き上げたり、治療方針を考えていた間にも癌はどんどん進行してしまい、手術をしたときには人工肛門にせざるを得ない状況になってしまいました。
そのことで看護師である自分の判断ミスだ、取り換えしのつかないことをしてしまったと思い込み、そこから3ヶ月、全く眠れない、ほとんど食べれない状態になってしまいました。
それでも、主人の治療費や家計のため働き続けなくてはならず、フルタイムで仕事をしていました。
しかし、だんだん判断能力が落ち、仕事も家事もままな状況になり、自殺願望が押さえられなくなりました。
夜中に近所を徘徊し、橋の上から川をながめてましたが死ぬ勇気もありませんでした。
あぁもうこれはだめだな 死ぬこともできないなら、仕事も何もかも諦めて生きるしかないなと精神科を受診し、そのまま強制入院となりました。
約40日の入院で、少しずつ生活を取り戻すことができ、なんとか3ヶ月後には仕事に復帰できるまで回復しました。
その頃に新リンパ療法と出会い、自分もできたら主人にも役立つのではと受講を決めました。
その間も主人の病状は悪化し、癌発覚から1年7ヶ月後に帰らぬ人となりました。
新リンパ療法の講座に通い始めてすぐのことでした。
うつ状態ではありましたが、気持ちを取り直した私はできる限りの看護を行ない、主人の最期を自宅で看取ることができました。
今思えば看護に家事に仕事にリンパの勉強にと本当によくやってたなと思います。
その後もうつ治療と、リンパの勉強は平行して続けていました。
リンパ療法のおかげか抗うつ薬の減量はスムーズにすすみ、いまは不安が強いときだけ頓服薬を使うまで落ち着いています。
何か取り組めることがあったからこそ、主人の死や自分のうつ病と立ち向かえたのだと今は思います。
しかもリンパ療法には大概の病気に対するノウハウがたくさんあってとても助かっています。