家村です。 | 劇団芝居屋の役者の独り言

劇団芝居屋の役者の独り言

芝居屋役者たちの独り言、たまに愚痴、時々叫び!?聞いてやってください

知り合いの方の



ブログよりちょっとパクらせて頂きました。



携帯からは無理なのでしょうが



パソコンで見てらっしゃる方も



結構居ると思いますので、見てみてください。





http://www.youtube.com/watch?v=QLjXRMoM7Ec



 



 



自分たちの次の舞台は



主宰 増田再起さんの所にも書いてあるように



戦時下でのお話です。



 



お国の為



そういって散っていく命



今の自分には想像も付かない時代



国を、大切な人を守る



その為に一生懸命だった人たち



 



 



その人たちは



こんな事が起こり得る



日本を想像したのでしょうか?



こんな日本を求めたのでしょうか?



 



これから先



こんな事が起こらないような



日本、そして社会になって欲しいです



そう、切に願います。



 



 



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携帯でYouTubeが見られない方のために
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あなたの周りにも、困っている人はいませんか?



京都市伏見区河川敷で2月1日、無職の片桐康晴被告が
認知症の母親を母を殺害しで無理心中を図ったとみられる事件の
初公判が行われた。



事件の内容は認知症の母親の介護で生活苦に陥り、
母と相談の上殺害したというもの



片桐氏は母を殺害した後、自分も自殺を図ったが
発見され一命を取り留めたとの事。



片桐氏は両親と三人暮らしだったが、95年に父が死亡。
その頃から母親に認知症の症状が出始め、一人で介護していた。



母親は05年4月頃から昼夜逆転、徘徊で警察に保護されなど
症状が進行した。



片桐被告は休職してデイケアを利用したが、介護負担は軽減せず9月に退職。



生活保護は、失業給付金を理由に認められなかった。



『死ねということか』



介護と両立する仕事は見つからず、12月には失業保険の給付がストップ。



カードローンの借り出しも限界額に達し、デイケア費やアパート代が払えなくなり、
06年1月31日に心中を決意した。



『最後の親孝行に』
と片桐氏はこの日、車椅子の母を連れて、京都市内を観光。



市内のコンビニで被告は、財布に残っていたわずかな小銭で
菓子パンを買い二人で食べたという。



2月1日早朝同市伏見区桂川河川敷の遊歩道で



片桐被告が
「もう生きられへん、此処で終わりやで」
などと言うと。



母は、
「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」
と答えた。



被告が「すまんな」
と謝ると、
母は「こっちにこい」
と呼び、



片桐被告が母の額にくっつけると、
母は「康晴はわしの子や。わしがやったる」
と言った。



この言葉を聞いて片桐被告は殺害を決意。



母親の首を絞めて殺し、
自分も包丁で首を切って自殺を図った。



冒頭陳述の間、片桐被告は背筋を伸ばして上を向いていた。



肩を震わせ、眼鏡を外して右腕で涙を拭う場面もあった。



裁判では検察官が片桐被告が献身的な介護の末に失業を経て、
追い詰められていく過程を供述。



殺害時の母子のやりとりや、
「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」
という供述も紹介。



陳述の最中に、検察官が涙で声を詰まらせるという
異例の雰囲気の中で裁判が進行した。



目を赤くした東尾裁判官が言葉を詰まらせ、
刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、
法廷は静まり返った。



「痛ましく悲しい事件だった。今後あなた自身は強く生き抜いて、
絶対に自分をあやめることのないよう、母のことを祈り、
母のためにも幸せに生きてください」



と最後に語りかけると
「ありがとうございました」
と頭を下げた被告。



※東尾裁判官の判決は懲役2年6月、執行猶予3年