2014年、県境ライン全走破計画 stage 6-(last) (国道494号線) | 柴犬と小規模農家の奮戦記!

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ロンリーライダーの農業と趣味の日常です

2014年も考えてみたら、もう10年も前となっていました。

つい最近走ったばかりだと思っていましたが、時が経つのは早く、随分と過去のツーリングになってしまって古いツーリングの内容となりましたが、そのまま続けて行きます。

 

■走行日2014年7月~8月

 

愛媛県と高知県の山間部を結び、境野峠と言う県境ラインを跨ぐ国道494号線を高知県須崎市から愛媛県松山市の市役所前の起点地まで無事走り切りました。

そこからの復路は現在の松山街道と言われる国道33号線を走り、国道33号線の県境を跨ぐと言うルートとなります。

 

 

松山市役所前は国道494号線の起点地だけでなく、317号線、379号線、440号線の起点地であり、11号線、33号線、56号線の終点地となっています。

494号線を含めて7本の始終点地であるのは、東京の日本橋と同じ本数です。

探すと標石もあるとの事でしたが、あまりにも暑くて動く気になれませんでした。

また改めて見てみたいと思います。

 

 

市役所前からは堂々とした松山城の天守がしっかりと見えます。

松山城は標高132mの勝山山頂に築かれているため勝山城とも言われます。

1602年に関が原の戦いで東軍に付き、功績をあげた「加藤嘉明」によって築城されたもので、日本三大平山城の一つに選ばれています。

 

 

市役所の建物には、“祝、都市対抗野球出場”や“おもてなしのまち松山を応援”、“7連連続、1人1日あたりのごみの分別~”など、色々とめでたい内容の垂れ幕が掲げられていますが、その中でも“東京ヤクルトスワローズvs 横浜DeNAベイスターズ”というリーグ戦の開催案内が目をひきます。

プロ野球1軍の試合が行われるのは四国内では松山だけなのです。

羨ましいな~と思いながら、この場を出発して行きました。

 

 

松山市内で遅い昼食をすまし、国道33号線で一気に高知方面へと向かいます。
松山市と旧砥部町を過ぎると一気に標高をあげるタイトなコーナーが続き、国道33号線最大の難所である“三坂峠”を越えます。
三坂峠は33号線の最高地点でもあります。

今は峠下をバイパスが通っていて、この峠を越える車はほとんど無くなりましたので、こうして道路にバイクを止めて撮影することができる様になりました。

 

 

かつて高速道路が開通していない時代は、国道33号線が高知と松山を結ぶ国鉄バスが走っていました。

今もJRバスが走っていますが、愛媛県内だけで最奥の旧柳谷村までのローカル路線バスとなっています。

三坂峠には峠の茶屋レストランがあってバスの休憩地となっていましたが、峠の茶屋もレストランも今はありません。

 


494号線で越えた黒森峠と同じ中央構造線上にある分水嶺峠で重信川と仁淀川水系を分けています。

町境にもなっていて、ここから久万高原町に入ります。

 

 

四国霊場45番札所の岩屋寺から46番の浄瑠璃時までの遍路道もこの峠道を通っていて、旧街道では所々石畳も残っています。

 

 

国道33号線を高知方面へ走り、久万高原町を抜けて行きます。

旧美川村に差し掛かる区間は西に明神山(1541m)、東に大川嶺(1525m)と言う1500m級の高山に挟まれています。

面河川沿いに深い谷に挟まれた西の山肌には集落と集落を結ぶかつての往還が幾つかありました。

そんな往還となっていたルートの一つが「西谷日野浦林道」となっています。

 

 

その西谷日野浦林道はかつては未舗装のオフロードコースだったのですが、今では全線舗装林道となってしまいました。

せっかくなので、その時の様子をアップさせていただきます。

 

 

大川嶺の東の懐を豪快に走り抜けるルートで、大きな眺望はありませんでしたが、最高のオフロードコースでした。

舗装されてしまったのが残念でなりませんが、分岐する幾つかの林道は未舗装で残っています。

 

 

真っすぐに延びる道から大川嶺の稜線が見られる区間は林道走行の楽しみとなっていました。

西谷日野浦林道は険しい山肌を縫うように走り、旧美川村から旧柳谷村へと移って行き、カルスト台地方面へと繋がって行きます。

林道走行を終えて柳谷村の中心地である落出へと下っていきました。

 

 

さて、県境ラインツーリングですが、三坂峠を越えてからは、そのまま国道33号線をひた走り、久万高原町(旧柳谷村)と仁淀川町(旧吾川村)の境となる国道33号線上の県境に到達しました。

 

 

さすがに主要国道上の県境表示なだけにカントリーサインの他、「またのお越しをお待ちしています」と、「ようこそ、ここから土佐路です」という言葉の表示看板も設置されています。

 

 

境部分には、廃屋となった食堂跡の様な建て物が残っていて、その前が広場になっています。
この広場の部分には旧道路の名残のようなものがあり、県境を示す古い石碑が2本建っていてます。

その足元には橋の跡もあり、片方部分だけ橋柱が残っています。

 

 

もう片方の橋柱は現在の道路で潰されている様子で、写真では判り辛いですが、残っている橋柱には“両国橋”と書かれています。

 

 

小さな谷を跨いでいたようで橋の欄柱が残っていますが、大正とあります。

これはかなり古いと!

 

 

架橋日は「大正15年3月架橋」とあり、国道33号線が松山街道として開設された歴史を感じることが出来ます。

 

 

県境を過ぎると高知県に入り、国道から別れて仁淀川に架かる“大渡ダム”を渡ります。
この辺りはstage5で走った区間と少し重なりますが、道は別ルートを走っています。
大渡ダムは仁淀川本流に架かる最大のダムで、昭和62年5月に事業総額780億円を費やして完成したものです。

早明浦ダムに次いで、四国で2番目の大きさです。

 

 

大渡ダム沿いを通り、ダム前の渓流の様子となった仁淀川に架かる“大森沈下橋”を渡ります。

仁淀川最上流に残る沈下橋で、昭和27年に架設されたそうです。
こうして、土佐市と須崎市の境の名古屋坂からスタートして、国道494号の全線走破から、大渡ダム前の大森沈下橋をゴールとしたstage6の全行程は209キロでした。

 

黒森峠から国道33号線のルート

 

stage6の全行程