50年前からの造詣 | 柴犬と小規模農家の奮戦記!

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ロンリーライダーの農業と趣味の日常です

昨年の2023年の50年前は1973年で、ブルースリーの燃えよドラゴンが初公開され、また亡くなった年でもあり50年と言う節目で何かと盛り上がった年でした。

実は、ブルースリー以外にも楽しみの文化が超ドストライクな年が1973年で、惹かれたり、影響を受けた殆どのことがリアルであり、今でも熱く続いているという、頭の中はこの年のまんまなのです。

そして1973年に出会った素晴らしいものがさらに深く広がっていったのが、50年前の1974年だったのです。

 

 

ブルースリーの燃えよドラゴンが初上映されたのは1973年ですが、12月と言う1973年が終わる時期で、実際に大ブームが起きたのは1974年からなのです。

雑誌やムックが幾種類も発売され、小学生の小遣いでは追いつかないほど出版されたのです。

何かとこじつけて小遣いを稼ぎ、あるいは親類の大人を巻き込んで買ったりしました。

 

 

 

音楽部門では最近はアナログレコードが見直され、その売れ行きがどんどんと伸びていると言う事ですが、洋楽ではビートルズ初の本人たち公認の全曲からのベスト盤。

一般的に「赤盤」「青盤」と言われる全4枚組のレコードが1973年に発売されて大ヒット。

このレコードによって、リアルタイム後の世代のビートルズファンが増えたとも言われていて、衰えを知らないビートルズ人気が続くきっかけとなったとも言われています。

当時にシングル盤発売の曲はモノラルだったのをこのアルバムではステレオでミキシングされたこともセールスポイントとなったようです。

 

 

 

それに加え、ポールマッカートニーが最高傑作「バンドオンザラン」を1973年12月、日本では1974年2月に発表し、リンゴスターは元メンバー全員と共演したアルバム「リンゴ」を1973年11月発表し、1974年にはビートルズ再結成か‥と言う噂がたつほどビートルズ再ブレイクの年だったようです。

 

 

 

ジョージハリスンは1971年に主催したバングラディッシュのコンサートを行った後に「リビングインザマテリアルワールド」を1973年6月に発表します。

このアルバムはそれほど話題にはならなかったですが、個人的には捨て曲無しの名盤だと思っています。

バングラディッシュのコンサートはエリッククラプトンやボブディラン、レオンラッセルなどの超大物アーティストたちがレーベルを越えて集まったバングラディッシュ難民救済のためコンサートで、80年代に行われたバンドエイドやウイアーザワールドのような集まりの先駆けとなったイベントなのです。

 

 

 

ジョンレノンではアルバム、「心の壁 愛の橋」(Walls & Bridges)が1974年9月26日にアメリカで先行発売されました。

イギリス発売は10月4日、日本では11月20日発売で、この頃はアメリカ市場での発売がメインになっていました。
個人的にはジョンレノンのアルバムの中では1番好きなアルバムで、歌詞やサウンドが心に響いた唯一のポップスアルバムです。

 

 

 

ジョンレノンと言うと名曲イマジンと共に平和活動、社会を皮肉った曲のイメージがあり、これまでもちろん素晴らしい曲はたくさんありますが、オノヨーコさんとの制作が多く、私にとってちょっとドロ臭く感じる部分がありました。

このアルバムはそういったことは感じず、ビートルズ時代のジョンが帰ってきたような自分自身の内面を描いた曲の構成となっています。

 

 

 

他ではディープパープルが「バーン」を録音(発売は1974年)とレッドツェッペリンが映画「永遠の詩」の映像とサウンドを収録したマディソンンスクエアガーデンのライブを行ったりと、大物アーティストがピークを迎えた年です。

因みにディープパープルではこのアルバムが個人的に一番好きなのです。

 

  

 

また、60年代のポップスに影響を受け、70年代の大物バンドとなった、クィーン、キッス、エアロスミスなども1973年のデビューなのです。

彼らが超大物になるのはもう少し後なのですが、徐々にその名を上げてきたのが1974年からなのです。

 

 

邦楽では桜田淳子さんや山口百恵さんが1973年にデビューし、初めて聴き始めた歌謡曲というジャンルのアイドルというか歌手にはまり始めたのです。

 

 

 

小学生だった当時は、聴く音楽といえば特撮ヒーローものやアニメという、いわいる子供向けのテレビ番組の主題歌がほとんどでしたが、桜田淳子さんがデビューしてからは歌謡曲に熱中し始め、明星という雑誌の付録の歌詞本を食入る様に読んだ(?)ものです。


 

 

桜田淳子さんは1973年2月25日デビュー。

山口百恵さんは1973年5月21日デビューということで、山口百恵さんはポスト桜田淳子という形でデビューしたとも聞いています。

当時、桜田淳子さんと間違ったこともあるぐらい何となく似ていました。

 

 

 

その後のご活躍はファンの皆様がご存知の通りです。
桜田淳子さんのオリジナルラストアルバム「ナチュラリー」は1983年9月21日発売なので、歌手活動はちょうど10年のようです。
その後、大河ドラマ「独眼竜正宗」の愛姫役を見たのが、私にとって最後となりました。

 

 

 

山口百恵さんのオリジナルラストアルバム「This is my trial」は1980年10月21日発売で、芸能人としての活躍は7年半ほどですが、もの凄く中身が濃く活躍したように思います。

ミュージシャンが歌手に曲を提供するという形を早くから取り入れたのも彼女でした。

淳子さんと百恵さんが初めて紅白に出場したのが1974年でした。

この年より歌謡曲やアイドル、ポップスという大人の世界の音楽に目覚めてきたのです。

 

 

バイクの影響は、もちろんこのヒーローからなのですが、熱中したのは1号と2号です。

でも、仮面ライダーシリーズで最も視聴率が高かったのは仮面ライダーV3のようで、1973年から1974年にかけて放送されました。

しかも、愛車のハリケーンは完全オフロード仕様で、バイクアクションも派手に見せつけてくれました。

 

 

モータースポーツの世界で唯一好きな4輪がスカイラインGT-Rで、KPGC110型で1973年式なのです。

今も他の車はあまり興味が持てない状態ですが、この車は所有することは不可能なのであこがれだけで終わっています。

と言う事で、1973年から74年は子供から大人の世界に移って行ったような、今の自分が形成されたような年であり、ほとんどこの年で止まっていると言って良いほどの世界ですので、ちょっと熱くなり長々となってしまいました。