昨年は鉄道開通150周年と言うことで、これまで撮り貯めていた鉄道写真をアップしてみます。
かと言って、本格的な撮り鉄ではなく、単に出合った車両を適当に撮影したものですから、大したものは全くありません。
ただ、後世になって、こんな車両があったのだと懐かしく思う出す事を楽しみにしているのです。
地元を走るJR線の1000形気車のシーンです。
夏になると鉄道で出かけた日々を思い出します。
1000形気動車はJRになって1990年に製造された一般形の気動車で、かつては四国全域で見られた車両ですが、今では土讃線で走るのが主となっているようです。
高知県内での土讃線普通列車では90%がこの車両となっています。
そのため高知駅では1000形車両ばかりが各ホームを占領する事があります。
国鉄時代には国鉄色のキハ52形、25形、55形などばかりでしたが、1990年にこのステンレス製のボディにブルーラインの入った、がらりとイメージが変わった車両にとって代わりました。
因みにブルーラインは四国のイメージとの事です。
テレビ小説“らんまん”の舞台ともなり、牧野博士のふるさとでもある佐川町を走る須崎行きの1000形気動車両です。
佐川町役場前を通り、佐川駅に入る所です。
同じく佐川町役場前を通過する、1000形気動車3連結車両です。
桜が満開の時期であれば桜の間を通過します。
通勤通学時間帯とか、高知市内近郊を走るダイヤでは2~3連結で走るダイヤもありますが、1両編成で走る事が多く、車両も1両で走る仕様となっています。
フジの花が咲き誇る横を通って行きます。
西へ下って行く1000形気道車で、朝倉駅から枝川駅へと向かって行く様子です。
50年ほど前は線路の周辺は殆どが田圃だったのに、今は住宅が密集しています。
この線路からすぐ北に朝倉神社の境内があるのですが、55年以上前はそこからSLが走っているのが見えたほどです。
「布師田駅」から「土佐大津駅」に上って行く1000形気道車です。
線路のこちら側は田圃が広がる土地ですが、線路の向こうはバイパスが通り、工業団地や商店が立ち並びます。
「布師田駅」は国分川のほとりにある単線1ホーム型の無人駅で、田圃の真ん中にある駅です。
国分川に架かるトラス橋梁となっていますが、かつてはガーター橋梁でした。
国分川の氾濫によって、駅も少し高い位置に付け替えられました。
円行寺駅と同じく、以前の駅の風景が味があって良かったです。
大津駅から南国市に入り、後免駅手前の住宅街の中をすり抜けるように走ります。
1000形気動車は大きな外観の変貌はありませんが、年式によっては窓枠をグレーに塗り替えたり、ヘッドライトがLEDに変更されたり、スカート部分が変わったりとあります。
その他にもあるようですが、細かな確認は出来ていません。
仁淀川橋梁を渡って行く1000形です。
仁淀川下流域に架かる唯一の橋梁で長さは381mとのことです。
平行弦プラットトラス橋が3連と4連で、中央部が曲弦プラットトラスとなっています。
高知市内にある旭駅から高知駅方面へと向かう車両です。
跨線橋からの様子です。
扉は3か所あり、中央部の扉は両開きとなっています。
くろしお鉄道ごめん・なはり線の9640形との連結可能な仕様になっていて、なはり線にも乗り入れているダイヤもあります。
高知の嶺北地方の玄関口となっている大杉駅に停車中の1000型気動車です。
大杉は昭和の歌手、美空ひばりさんのゆかりの地としても有名です。
昭和22年の当時、美空ひばりさんが9歳の頃、地方巡業中に嶺北でバスの事故にあい九死に一生を得ました。
その時入院し、杉の木の前で「日本一の歌手になれますのように」とお願いしたことでゆかりの地とされています。
この1000型気動車の普通列車はワンマンカーで阿波池田発高知行です。
かつては何便もあった普通列車も今は阿波池田発高知行は1日4便しかありません。
知らない間に、寂しくなってしまった土讃線の山間部です。
懐かしの2000系のアンパンマン仕様の南風が通り過ぎるのを待つ1000型です。
特急列車の通過を見送った後にゆっくりと高知方面へと向かっていく車両です。
最近はバイクでこの沿線上を行き来するばかりとなりましたが、久しぶりに鉄道に乗ってみると新鮮な旅が味わえます。