大宰府への道ー九州歴史資料館へ行ってきた
6月16日(土)、九州歴史資料館で開催中の展示「大宰府への道」を観てきました。 九州歴史資料館は福岡県教育委員会が運営、昔は大宰府の、現在、九州国立博物館の駐車場となっている場所にあったそうで、2010年に老朽化や国立博物館建設など理由から、小郡市に移転となったそうです。こういう施設は「調査・研究」がメインで、その成果を展示しているという感じですね。 資料館の外観立派な建物です。最寄駅は西鉄 三国ヶ丘駅で周囲は小奇麗な新興住宅街として開発されてます。東京で言えば東急線沿線などの住宅街を彷彿とさせるような雰囲気ですね。三国ヶ丘周辺のデベロッパーはもちろん西鉄です(^^;。さて、今回観た展示の正式名称は「大宰府史跡発掘50年記念特別展示 太宰府への道-古代都市と交通-」土地柄、いろいろな施設で大宰府関係の出土品等々を目にする機会が多いのですが、『どの施設で、どの展示を観ても、見応え有』 という感想となります。はずれがないんです。この「手応え」は、古代における大宰府の重要性を表現していると思いますし、当時の大宰府の空気感を伝えてくれるような出土品のある種のクオリティの良さ、内容の詰まった出土品と言いましょうか(表現力乏しくすみません)。。。今回の展示も、木簡・瓦・書簡・地図・食器・仏像 etc.etc...といつものラインナップながら、やはり見応え十分。これは、古代という時代、大宰府という場所、個人の好み(笑、等々の要素から、個人的感想ではあると思いますが、萌えます(笑。土地々々に「〇〇学」とその土地の成り立ち・歴史を研究する学問がありますが、大宰府に関しても当然「大宰府学」があります。ただ、自分個人的には発掘から50年しか経っていないのは意外思ったりします。大宰府自体とその研究の流れを見ると、大宰府は平安後期くらいにその政治的役目を終了してからは、ほぼ、天神をはじめとして信仰対象的な場所になっていたようです。ただ「有能な左遷者の起死回生の地」的な性格は幕末・維新の5卿滞在まで残っていたりして、なんらかの意味を持つ土地ではあり続けました。政庁跡で言えば、江戸中~末期頃の儒学者亀井南冥などが研究していろいろと言及してたそうなんですが、50年前に発掘が開始される前は「イモ畑」だったそうで。。。現在、自分の研究対象候補のひとつに「大宰府」があります。研究どうしようかなー、という前に、学科の勉強(通信の)が全く進んでいない。大変なことであります(汗;