過去の話 2 | にゃんころ餅日記

にゃんころ餅日記

「西の魔女」と呼ばれる、うどん県の霊能者兼ヒーラーです。
日々感じたこと、真面目な話、怖い話、オラクルカード、
猫たちやうさぎの話などを書いてます

私は、子供の頃の記憶がほとんどない。見事なぐらいに忘れてしまっている。なぜなのか考えてみると、忘れなければ精神の破綻を招きかねなかったのだと思う。

それでも、かすかに憶えていることもある。私は、小学生の頃から家の中に居場所がなかった。妹に「ここにあんたの居場所なんてないから、はよ出て行き」なんてことを毎日のように言われていた。
私は、妹の戯言だと相手にしていなかった。すると、ある日よほど虫の居所が悪かったのか「母ちゃんがあんたやいらん子やって、言よるんやからはよ出て行き」と言った。
私は母の元に飛んで行き、妹の言葉を伝えた。母の口からは「言うなって言うとったのに」という言葉だった。妹の言葉は真実だったのだ。その後の記憶はない・・・。

それでも、母に好かれたくていい子を演じていた私。母に何かを頼まれると必ずのように手伝っていた。そんな母の手伝いに驚くような内容のものがあった。なんと、小学生に銀行に行ってお金の預け入れや引き出しをさせるというものである。
普通では考えられないようなことだ。母は、父の保険金を元手に株でいくらか儲け、そのお金を親戚に貸したりしていた。その際のお金を私に引き出させたりしていたのだ。その額、50万100万、多い時で200万だったりした。
私の地元の銀行にATMが設置された時、すぐに使い始めた。小学4年生の頃だったと思う。なので、小学生の私は地元の銀行の場所は全て知っていた。中には、顔見知りの銀行員もいた。

私は、そんな手伝いは私を好きだから頼んでいると思っていた。まあ、そうではなかったのは後で分かるのだが。

そんなこんなで小学校を卒業し、中学校に入学した。中学生になると部活が始まり、思春期になり母に反抗もするようになった。それでも、大きな事件もなくなんとか毎日を過ごしていた。
そして、2年遅れて妹の小学校卒業の日。この日を私は、いや母も妹も憎んだ。
祖父母が国道で大型トラックと衝突事故を起こし、祖父は軽傷、祖母は一時意識不明の重体になってしまった。幸い、祖母は翌日意識を回復し、手足と胸の骨折のため長期入院が必要になってしまった。
原因は、認知症の初期だった祖父の運転だった。母は、こうなることを恐れて免許を取り上げようとしていた。その矢先の事故だった。

妹は、この事と他にも色々あって荒れることが多くなった。いわゆる非行に走り始めたのだ。母が妹との約束を破ったのが原因だった。だが、母は私に何度もこう言った。「あんたが姉さんらしくないからや」と。
この頃になると私も負けていなかった。「あんたは母親らしなかったやないか」負けずに叫んだ。
妹は登校拒否になり、家庭内暴力を起こし始めた。母はおろおろするばかりだった。私は、妹に対抗していた。そんな私に母は言った。「あの子の思うとおりにさせてやってくれ」と。

そして、祖父は事故の時に頭を打ったらしく認知症の症状が進んでいった。家の中は、認知症の祖父、家庭内暴力の妹、妹の言うことに逆らわない母、入院中の祖母、反抗期の私。めちゃくちゃだった。