エジプト旅行⑫屈折ピラミッド、ラムセス2世の巨大彫像(水) | 柴犬カン、福の日記

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柴犬カンと福、筆者の出来事、想い、政治、経済、文学、旅行、メンタルヘルス、映画、歴史、スポーツ、等について写真を載せながら日記を綴っていきます。柴犬カンは2018年12月に永眠しました。柴犬福が2020年4月7日夕方にわが家にやってきました。その成長記録。

 屈折ピラミッド(Bent Pyramid)とは、エジプトのダハシュールにある古代エジプト・古王国時代の第4王朝のファラオで、クフ王の父でもあるスネフェル王のピラミッドである。このピラミッドの角度が途中で変わってしまっていることについては諸説あって、設計図通りにいかなかったので途中から角度を変えたという説や、吉村先生が唱える説では、このピラミッドを作ったスネフェル王が屈折ピラミッドの上半分の曲がっているところより上を作り、それより下の角度が急な所は別のファラオが作らせて、二人の人物が作ったがためにこのような形になったのではと唱えている。ともかくギザのピラミッドより古いピラミッドである。

 

 同じく屈折ピラミッドと同じ赤いピラミッドがダハシュールにある。これもクフ王の父であるスネフェル王が建造させたもので、このクフ王の父のファラオは多くのピラミッドを作っており、吉村先生に言わせると、お墓だったら一つで済むところが、こんなにたくさん作るファラオがいたということは、ピラミッドは墓ではない証だと述べている。赤いピラミッドは赤っぽい石でできてるようで、赤く見える。そして傾斜の角度が緩やかで、それも特徴である。このピラミッド群を見てわかることは、ギザのピラミッドは明らかにそれ以前のピラミッドから技術の進歩によって出来上がったもので、宇宙人が作ったものではないし、沈んだ大陸にいた高度な文明を持っていた人たちが建てた物ではないと思われた。

 

 メンフィスに行くと巨大なラムセス2世像がある。ともかくラムセス2世は今から3200年ぐらい前の人物であるから十分古い人なのであるが、実はクフ王やカフラー王が活躍した古王国が栄えた時代から換算すると1400年ぐらい後の人物なのである。ラムセス2世は身長が173センチくらいで、当時としては非常に身長が高かった。これはカイロの考古学博物館で私はラムセス2世のミイラを実際に見たのでよくわかる。そして髪の毛が赤毛であり、肌の色が白っぽいことからラメセス2世はもしかしたらリビアの方のベルベル人の血が入っていたり、もしかしたらヒッタイトなどインドヨーロッパ語系の人物やギリシャ人やパレスチナのセム系の人たちの血が入っているのかもしれないと言われている。

 

 実際にエジプトのファラオはヒクソス系の王もいるし、ヌビア人の血が濃い肌の色が黒いファラオもいたし、古代エジプト最後の方では例のクレオパトラ、この人はもともとギリシャ人なのだが、こういった人がファラオになり、肌の色に関係なくエジプトのファラオとして君臨し、統治したのである。

 

 昨年放送された「世界ふしぎ発見」では、ラムセス二世ではなくラメセス二世と放送していた。まあどちらでも良いのだろう。ラメセスの方がエジプトの言葉に近いのかもしれない。ともかくラメセス二世はモニュメントを作り続けた人物で、メンフィスで寝転がっているラムセス二世はイケメンで巨大なのだが、ここ以外にもラメセス二世の彫像は山ほどあって、最も有名なものが、エジプトの最南端でもう少しでスーダンというところに作られたアブシンベル宮殿のラメセス二世の像である。私も機会があったらこのアブシンベル宮殿は行ってみたいと思っている。

 

 ラムセス二世は戦争もよく行ったが、最も有名な戦いは、勝ちはしなかったが、小アジアを中心として勢力を広げていたヒッタイトとの戦いである、カデシュの戦いである。結局ひき分けだったが、その後世界最初の和平条約を結んだということが彼を大変有名にした功績である。そしてそのヒッタイトと戦った場所であるカデシュというところは、その後モンゴルとマムルーク朝が戦った場所で、同じ場所だったということである。

 

 ラムセス2世は古代エジプト最強の王と言われるが、その理由のひとつに子供を何と生涯で100人ぐらいもうけており、王子ための墓も作られた。

黒ピラミッド?↓

 

屈折ピラミッドが見えてきた。↓

 

屈折ピラミッド全景。

 

赤のピラミッド↓

 

赤のピラミッド↓

 

 

 

 

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