今回の旅行で、様々なモニュメントを見てきた。パルテノン神殿やアフェア神殿。ハギアソフィアやスレイマンモスク。しかし私を含めて同行したツアーの人たち全ての人が素晴らしいと言っていたと思うのだが、あのピラミッドを、その一部分だけを見ただけで興奮してバスの中で立ち上がり、カメラを取り出して、バスの中からバシバシと写真を撮り始めたのである。
ピラミッドにはなぜあのように人を惹きつける魅力があるのだろうか?そもそもあのような建造物を作る必要があったのだろうか?なぜ作ったのだろうか?あの巨大なもの。しかも4500年前に。信じられない。あの形が一種異様なのである。エジプト人のガイドさんも宇宙人説を冗談めかして言っていたが、確かにあの正三角形が四つ並んだ形。同時に東西南北の方角がぴったり合っているという不思議。様々なふしぎが連なって、そしてそれ以降エジプトを訪れた様々な人たちがピラミッドの謎を解こうと努力したのである。
ただスフィンクスにしても同じなのだが、ピラミッドも、もっと小さいものも作られている。ギザの三大ピラミッドよりも古いピラミッドを今回訪れて、なるほどこの小さいものを改良していけば、確かにギザのあの最も高いクフ王のピラミッドのようになるかもしれないなと思ったのである。同様に小さめのスフィンクスも、さらに小さいスフィンクスはエジプトの考古学博物館にあった。すなわち進歩していったと言えるのである。ただ技術はその後廃れてしまったようである。もしかしたらエジプトの豊穣な地をパレスティナの方からやってきたヒクソスによるエジプト侵略が、そしてヒクソス系の王が誕生してしまったことにより、ピラミッドの技術が廃れてしまった可能性がある。ただヒクソス以降の新王朝になって、トトメス3世やもちろんアメンホテプ4世。それから古代エジプト最大最強の王と言われているラムセス二世になってもそれぞれ素晴らしい建造物を作っている。
新王国が、古代エジプトで最も繁栄したと言われているのである。ちなみにラムセス二世のミイラをエジプト考古学博物館で見させてもらったが、かなり身長が高く当時としては強そうな王様だったように見えたと考えられる。60年ほど彼はエジプトを統治した。戦争にも少なくとも負けなかった。新王国の王たちはアブシンベル神殿を建てたり建造物を多く作ったが、ギザの三大ピラミッドのようなものは作らなかった。もっと別のもので王の威厳を保とうとしたのかもしれない。それはかつて日本の古墳時代の大和政権が巨大な古墳を作っていたのだが、ある時から古墳建造を行わなくなり、もちろん小さなお墓は作られたのだが、大和政権の有力者が熱心に作るようになったのは、寺院に代わっていったのである。そして奈良時代になって日本最大の仏像が作られたのである。今の技術があれば巨大な仏像は作ろうと思えば作れるのだろうが、作ろうとする人はいない。日本は日本でスカイツリーなどランドマークを作っている。あべのハルカスなどもそのひとつだろう。
ピラミッドに近寄るにはチケットが必要で、チケットは今回ツアーガイドの人が買ってくれて、待たずに入った。そして少しずつピラミッドに近づいていった。
ところでギザのピラミッドのすぐそばに巨大な建築物を作っていた。これはエジプトが総力を挙げて作っている博物館である。カイロのエジプト考古学博物館は手狭になり、10万点以上の収蔵物がもはや置く場所がない状態にあるようだ。そこで新しい場所に移転してという考えらしい。アクセスも非常に良くなる。カイロの考古学博物館は、カイロの中心地にあり駐車場などが手狭なのだろう。新しい博物館はやはりピラミッドの三角形を用いて作られていた。いつ出来上がるのかわからないが、できたら訪れてみたいし、この博物館の屋上から見るピラミッドの光景は素晴らしいものになるだろうと思うし、新しい博物館は素晴らしいモニュメントの一つとなるだろう。エジプトの歴史を塗り替えるということだ。
建築中の博物館↓
建築中の博物館とピラミッド↓
クフ王のピラミッド↓
ピラミッドの頂上に何か立っている。
ピラミッドの入り口はふたが閉められて、観光できるのはその下の狭い入り口↓