私はこのマンガを読んで、進歩的な視点だけではなく別の視点を含めて、3つのことに気がついた。まずこの本の書かれた年である。1937年、まさに日中戦争が始まった年である。すでに日本は国連を脱退し、満州国も樹立されている。戦争まっしぐらにつき進んでいる状態であった。
その1つ目の観点が以下である。
この本が出版された頃の日本は、今の北朝鮮のような状態になっていたのではと想像するわけだが、実はこのような作品が書かれ、そして出版することができ、売れていたという事実である。これは今の北朝鮮ではまずありえないことだと考えられる。日本は軍国主義で国家統制が厳しかった時代であっただろう。まさに戦争を第一に考えなければならなかった。そう言った時代であった。しかしその中で、いじめを取り上げたり、またはサイエンスの世界に中学生を向けさせようとする主人公の叔父のようなリベラルな人物がいたということが、今の中国、北朝鮮では、もしかしたらできないのではないかとか思うのである。
戦前の日本でも多様性があったのだ。確かに治安維持法によって社会主義者またはそれに連なる自由主義者さえマークされ、時折牢屋に入れられ、獄死した人もいた。私の祖父も英語が喋れたり、アメリカへの滞在があったことから、特高からマークされたと聞いている。しかしこの吉野源三郎のような人がこのような時代にも存在したことが、戦後につながり、今の日本の強さであり繁栄の基盤になったと、私は考えるのである。これが最初に気が付いた1つ目の重要なポイントである。
次に2つ目のことを述べる。
この主人公の中学生に対して、世の中のことを伝えていく人物は、主人公の母親の弟である叔父さんだ。主人公をコペル君(コペルニクスから名付けられ、科学の革命的な転回を期待して名付けられたと考えられる)と名前をつけて、近代的な科学の世界、そして平等で、みんなが仲良くできるような社会を目指す思想を、少しずつ彼に植え付けて行こうとする様子が見て取れる。それはそれでもちろんいいことなのだが、私が最も聞きたかったことを、この叔父さんは答えてくれない。
コペル君のクラスでのいじめ、上級生にもいじめられる場面が描写される。その時にコペル君がいじめられた子を助けることができなかった。そのことをコペルくんは後悔し、すごく不安でいた。その時に、どういう対応をすればいいのかということを叔父に尋ねている。しかし進歩的文化人である叔父は、答えられていなかったのだ。私は丹念に、慎重に読み進めていった。そしてコペル君がどうしたらいいのかと叔父さんに聞いたところ、叔父は「私も聞きたいぐらいだ」と答えている。
つまり集団内部の秩序維持の場面で、暴力以外の手段でどのように集団をまとめていくのかということについて、述べていないのである。ここは重要な点で、戦後民主主義、特に学校教育の中で、校内暴力やいじめの解決策として力の行使が重要であるという点を、私は認めざるを得なかった。その有形力の行使は、人が人を叩いたり蹴ったりすることは今やなくなったが、別の形で力を行使することによって集団の秩序を維持しようとすることは現在も行われている。それに対してこのおじさんは批判的なはずである。しかしそれしか方法がないということを叔父は知っていながら、コペル君に教えていなかったのである。「自分の力で考えることが大事である」とだけ言って。
ちなみにアンパンマンは、アンパンチをくらわす。
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