歴史の最後に立つ人間は「マッドマックス」で予言されている(火) | 柴犬カン、福の日記

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柴犬カンと福、筆者の出来事、想い、政治、経済、文学、旅行、メンタルヘルス、映画、歴史、スポーツ、等について写真を載せながら日記を綴っていきます。柴犬カンは2018年12月に永眠しました。柴犬福が2020年4月7日夕方にわが家にやってきました。その成長記録。

 前回のエントリーでニーチェの最後の人間像を紹介したが、フランシス・フクヤマ氏は、1992年に 出版された「歴史の終わり」の中で、映画「マッドマックス2」を取り上げ、 世界の最後の状態について補足している。

 

 おそらくこそれから20数年の中で、今、未来の世界を描く場合に、マッドマックスで描かれている世界の状態は、かなり高い確率で未来の世界の状態を描き出していると思われる。直近の作品2015年の「マッドマックス怒りのデスロードの」中では、狂気に満ちた、石油と水をめぐり、生き残ったわずかな人類の中での激しいバトルが繰り返されている。その中には放射能によって突然変異が起きた人間の姿も描かれており、福島事故以後の核兵器による終末を暗示している。また、「バイオハザード・ザ・ファイナル」、このシリーズの最後の作品であるが、その舞台もまさに世界の終末後、僅かな人類が互いに争う姿が描かれている。人類の本性をさらけ出すかのように。

 

 もちろん今まで 終末をSFは描き出していたが、現実味がない空想の世界に過ぎなかった。しかしアメリカのトランプ大統領、北朝鮮の金正恩氏、この姿を見るとマッドマックスに出てくる人物とがダブってしまう。もしかして終末を予言していたヨハネの黙示録(アポカリプス・・・この言葉も流行している)だけでなく、日本のアニメでも世界の終末を描いている。「未来少年コナン」は1978年にNHK で放映され、宮崎駿氏が、「残された人々」というアメリカのSFを元に作り上げた作品である 。これは残り少なくなった人類が、科学にすがりつき生き延びようとする勢力と、牧歌的な農村で生きる勢力の二者択一の考え方から成り立っている作品だ。蛇足だが宮崎駿氏はグローバリストであろう。

 

 その他にも宇宙戦艦ヤマトでは異星人が侵略し地球を滅亡に追い込もうとする。機動戦士ガンダムでは、地上ではなく宇宙空間に浮かぶ人工衛星が一つの拠点となって人々が暮らし、不毛な、しかし抜けることのできない争いが、何のためかは分からずに、続けられているのである。

 

 今は、原始的な生活に戻るか、科学を利用するか、も問われている。グローバリストの一部は、ベジタリアンがいたり電気自動車に乗り、自らは地球を守る側だと錯覚している。電気を作るのにどれぐらい2酸化炭素使っているか、原子力という危険なエネルギーをどのように使っているかを調べもせずにである。ルソーは科学を否定し、「自然に帰れ」と唱えたが、このような状況の中で果たして自然に戻ることは可能なのだろうか?幻想である 。

 

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