自民党政権がかくも長く続いてきたのにはそれなりの理由がある。
1945年、敗戦後の日本を統治したGHQは、貧しい小作人に地主から土地を譲らせ、または買い取り、小作人に分け与えるよう命じた。しかし現憲法の松本案と同じで、当時の日本政府が出してきたものは不十分だったとされる。マッカーサーらはより大胆な農地改革を求め、政府はそれに応じ、1950年にはほぼ小作農はいなくなり、自作農になった。
このような農地の強制的な配分は、当時のアメリカ軍内部にも、社会主義的な傾向があったことは否定できない。米大統領のフランクリン・ルーズベルトは共産主義者だったといわれるくらい平等志向が強かった。
しかし結果としてこの農地解放が自民党政権を長く続かせる要因だったのである。もしこのあと社会主義、共産主義に進めば、せっかく手に入れた自らの農地を再び国に手放さなければならない。戦前の一部の小作農は社会主義を志向する政党を支持していたが、これをきっかけに非社会主義の自民党を支持するようになった。農民と中小商工業者は自分たちの利益を代弁する土着の議員を立てて、積極的に政治活動をした。都市の労働者の一部は労働組合に加入し、組織率も高かった。国民を人口別に分けるとちょうど議席数も同じで、自民2:社会1という55年体制が完成した。
このような現象は歴史でよく見られる。古くは東日本の農民たちを中心に、京都の貴族に頼れない農民たちは武装し、源頼朝をリーダーとして幕府を打ち立てた。農地を守るためである。源氏が途絶えたあとも北条氏を中心に土地の維持のために共同体を維持した。ちなみに頼朝は、時間があれば土地の証書を書き、自分の花押(サイン)を沿えて武士(有力農民)に与えた。義経ではなく頼朝に支持が集まったのは当然だ。「一所懸命」である。
もう一つは、フランス革命である。ジャコバン派が政権を握ると、「封建的特権の無償廃止」の政策をとり、小作人に土地を分け与えた。農民たちは保守化し、その土地を守るため、さらなる革命は望まなくなり、ナポレオンを支持したのである。
自民党の圧倒的に優位であったのは1989年までであった。この年冷戦は終わりを告げ、バブルが頂点に達したからである。
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