あれからもう30年とは時の流れが速いものだ。硫黄島、沖縄、広島と長崎そして終戦が70年といい、次の80年は、もはやそのことをしっかり記憶している人がいなくなるという。私は今年、沖縄戦の時に10歳くらいだった人の話を聞けたのだが、もう10年経つとそれを語れる人がいなくなってしまう。いても数少なくなってしまう。
1985年は私にとって記念すべき年で、静岡から上京した年。何しろ一人暮らしは初めてで、また東京もほぼ始めてと言って良い体験だった。それから一人暮らしを11年したわけだ。
4畳半の風呂トイレなし。炊事場も共同という下宿の主人は88歳くらいだったように記憶している。下宿代を払いに行ったとき、小さい頃に、日露戦争に行く兵隊さんたちに旗を振った、といっていた。日露戦争が1904年なので当時7歳くらいだったのか?ぼんやりとした記憶だろうが、そういう、第一次大戦、2次大戦と経験してきたわけだ。
日露、第1次大戦の頃は夏目漱石が一番活躍していた頃だ。今も千円札として活躍している。「硝子戸の中」に1次大戦のことが記述されている。
関東大震災が1923年。私の母校が甲子園で優勝したのは1926年。決勝はなんと大連商業とあたっており、2-1で勝利したらしい。普通選挙法が成立し治安維持法が成立した翌年で、満州事変の前。大連は租借していたのだ。そのとき野球をやった中国人はいたのではないかと想像する。
1985年の時は、あまりに東京画暑くて(冷房などない)、とりあえず静岡に帰った。静岡も冷房は父の部屋にしかなかった。日航機の事故は静岡で遭遇した。静岡の上空を通ったということで、静岡の人が123便を目撃したなんて話もあった。テレビではそのことばかりが報道されていた。