やはり頭がまだ痛い。仕事に行くと音に反応してしまう。うるさい声などに不快の念を持ってしまう。やはり少し休んだ方がよいかなとも思う。このままうつに落ちていくのかどうか・・・・。
さて、昨日の続きなのだが、東京近郊の家族は一人親が多かったり、外国人の親に育てられている子どもも多い。これは多分に偏見があるのだが、不快に思うひとは読まないで貰いたいが、煙草を両親とも吸い、車は軽自動車に黒いガラス。パチンコを好み、ジャンクフードを好む。住宅は木造モルタル2階建て。または70年代に出来た公営住宅に住む。
このような環境で育つと、相当な確率で親と同じような嗜好を持つようになると思う。まあ、全部が全部そうなるわけではない。昨日の「流星ワゴン」の香川照之みたいな親はかなり昔にも多くいた。私の祖父もアルコール依存だったり、戦後すぐはヒロポンをやっていたと聞く。
50代後半でなくなったのは、アルコールの影響があったのかなと思う。
話はそれたが、ゲマインシャフトが崩壊した東京近郊。ほとんどがゲゼルシャフトに移行した。ゲマインシャフトに対する嫌悪感を私はかつて、幼少期に住んでいた静岡で感じた。川崎の生田で生まれ、東京の町田にいて、その後静岡に移った私は、ゲマインシャフトに馴染めなかった。方言もしゃべれない。
しかしその嫌悪したゲマインシャフトが縛られる反面救われる部分がある。今更静岡に戻れるわけでもないが。ゲゼルシャフトは正社員社会では何とか成り立っていた。一戸建てを建て、近所のママとママ友を作る。非正規で、しかも地元を離れると、学校に通っていた当時の仲間とも縁遠くなる。
今回の川崎の事件。私も川崎で生まれた一人として、ストリートバスケットか何かで生まれた、弱い絆で結ばれたアメーバみたいな集団。集団行動を嫌う戦後教育が、子どもたちに集団の作り方を教えなかったのかもしれない。個人の欲求をまず優先する。
亡くなった少年は島のゲマインシャフトの中で育てば、このようなことにならなかったのではと思ってしまう。
※ちなみにゲマインシャフトは「地縁血縁、農業社会」。ゲゼルシャフトは近代以降できた「利益社会」と、ドイツの社会学者テンニースが使った言葉である。