どうも安倍政権と今の天皇皇后両陛下の考え方に開きがあるように思えてならない。
今生陛下は1933年12月23日にお生まれになっておられる。この年は、5.15事件で犬養首相が暗殺された翌年で、しかもそれを支持する国民が多数いた。そして1933年には国際連盟を脱退。ナチスが政権を奪取。三陸大地震が発生。小林多喜二が特高に拷問の上殺される。自由主義的な学者が大学を追われる滝川事件が発生。
まあ、こんな時勢のまま、日本は戦争に突き進んでいく。陛下は物心ついた頃から、内と外からの脅威にさらされた少年時代を過ごされた。そして、戦争が終わり、米軍に占領されたとは言え、おそらく内心晴れ晴れした気分になられたのではないかと思う。私には想像がつかないが、世の中が明るく、自由な雰囲気になったのを実感したのが、この世代の人たちも同じだったのだろう。
皇后陛下も平和主義者であることが感じ取れる。昨年のお誕生日に際しての発言の中に
「5月の憲法記念日をはさみ、今年は憲法をめぐり、例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。明治憲法の公布(明治22年)に先立ち、地域の小学校の教員、地主や農民が、寄り合い、討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で、基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務、法の下の平等、更に言論の自由、信教の自由など、204条が書かれており、地方自治権等についても記されています。当時これに類する民間の憲法草案が、日本各地の少なくとも40数か所で作られていたと聞きましたが、近代日本の黎明期に生きた人々の、政治参加への強い意欲や、自国の未来にかけた熱い願いに触れ、深い感銘を覚えたことでした。長い鎖国を経た19世紀末の日本で、市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして、世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います。」と語られたという。
天皇陛下はやはり昨年のお誕生日の会見の中で
「戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています。また、当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います。」
と語られ、憲法の擁護と平和の尊さを語られたという。そういえば、亡くなった、棋士が日の丸君が代をちゃんとさせた、と発言したところ、強制のないように、と言った言葉をかけられた。権力による思想信条の強制は良くないという考えをお持ちのようなのである。
確かに天皇陛下は政治的な発言は慎まれるべきだろうし、時の内閣や議会の方針に従うのが、民主制の中の天皇制のあり方かもしれない。
一方、安倍総理のブレーン、八木秀和教授は、宮内庁のマネジメントに苦言を呈している。
私は、宮内庁は今生陛下の御心を、ぎりぎりのラインで抑制しながら、発信しているのではないかと考えている。
残念ながら陛下他皇族は、投票権も立候補する権利もお持ちにならない。その代わりに特別な立場をお持ちである。我々はそれを忖度する必要は全くないが、聞くべき価値のあるお言葉だと思う。