みんなの党の渡辺喜美氏が代表辞任ということになった。後継は民主党から立候補できなくてみんなの党に逃げ込んだ浅尾氏がやる可能性が強いという。みんなの党は渡辺氏の個人商店なので、もし渡辺氏が立件された場合、もはや立ち行かなくなるのだろう。結いの党と維新の会の一部、民主党細野氏の穏健保守といったグループが合流するのかもしれない。
渡辺氏が目を付けた点はよかった。官僚制の問題。ビューロクラシー。官僚制。この制度は近代国家になってから得に発達したものだが、農耕文明から都市文明に移行した辺りからすでに生まれていた。宮廷に潜む事務官僚。宦官。中国では科挙、といういかにも平等な制度でありながら、いったん官僚になってしまうとその既得権を守ることに汲々とし、結局自らは何に使えているのか分からなくなってしまう。国益という目的にを見失ってしまう。
中国北宋では官僚間の、新法党と旧法党の対立が国力を落とした。やがて北方異民族に支配されるに至った。
渡辺氏は高級官僚と関係業界、天下り、得に幹部人事の官邸主導、などを掲げて戦った。しかしそれは管直人氏が総理の晩年に既得権益に対してドンキホーテのように突っ込んで玉砕したように、渡辺氏の主張は反映されなかった。やがて、お金がなくなり、安倍氏にすり寄るようになっていった。
そもそも天下りなど、私の職種ですらあるし、ちょっと大きめな企業グループも派閥があったり、縄張りがあったりする。アメリカのような大統領制の国でさえ、国防総省、NSC、国務省、FBI、CIA、そして地方の警察。色んな組織が被さっていて縄張り争いをしている。旧ソ連、中国の官僚制は言わずもがな。
私の職場は、その前の職場に比較してかなりセクショナリズムが強い。これは私の係ではない。とか良かれと思ってやると、あんたはやらないで良い、と怒られ、さらに新しいことをやろうとすると、前例がない、聞いたことがない、と反対される。結局何もしない。少なくとも外部からはそう見られている。そして内部の調和に気を取られ、外からどう見られるかは全く気にならない。頭隠して尻隠さず、という感じ。
今日もセクショナリズムに頭にきた。しかし、そんなことに頭にきていたのでは、中国や日本の官僚機構では生きていけないのかもしれない。人間が組織を作れば結局そうなってしまうのだから。