8時15分

 

玉音放送

 

あれから77年の月日

あの時生まれた人は

77歳

 

この77年間

どんな人生だったのだろう?

 

そして

この77年間

日本は

どんな月日を送ってきたのだろう?

 

戦後に生まれ

戦後の未来を生きてきた

私たちは

何を知り

何を思い

何を感じてきたのだろう?

 

今頃になって

こんな真実?

って事が今でも出てくる

 

先日の夜の情報番組でも

原爆を何故落としたか

北方領土を

何故ロシアが奪ったか

そんな事をやっていて

今迄自分が知っていた事とは違って

少しショックを受けた

 

それと同じように

去年読んだこの本に

私は自分の勘違いを

正してもらった

 

この本の一部分に

「国民の支持がなければ戦争はできないし、

 戦前の日本は世を挙げて戦争をやるべきだと

 盛り上がって、普通の人たちがアメリカを

 やっつけろと言っていた」

と書かれていた

 

政府が悪い

国が悪い

なんてばかり

思っていたけど

それは違ったのだなぁと

 

確かに戦争に向かったのは

国であり政府であるかもしれない

 

ただ

それに流された国民がいた

これはおかしいんじゃないかと

疑う事さえせず

一緒に戦争に向かった国民感情が

そこには確かにあった

 

戦時中

大切にされた

軍関係者や軍の学校に

在校していた者

その卒業生たちは

 

戦後

勉強をするために

大学に通うものなら

 

「徴兵を拒否することが

 できたはず」と

決めつけられたり

幼稚だとか低能だとか

言う人が沢山いて

風当たりが相当な

ものだったらしいのだ

 

戦争が終わった途端に

何という手のひら返し

 

他にもこの本には

「なぜ無謀な戦争を

 避けられなかったのか。

 その理由は、日本人

 一人一人の中にあるはずです。

 辛くてもそれと向き合わないと、

 また同じことを繰り返すに

 違いありません。」

 

「日本という共同体は、

 その共同体のために死んだ

 人々に対して、

 心から向き合い、

 弔うということを

 ないがしろにしてきました」

 

とあった

 

私は、その通りだと思った

 

確かに

この国の

この時代に

生きている

私たちにとって

戦争は近くには

無いのかもしれない

 

ピンとくるものも

無いのかもしれない

 

でも

 

過去の戦争は

遠のいていくけれど

もしかしたら

未来の戦争に

近くなっている

かもしれない

という

危機感を常に持ち

 

平和であることの意味

平和であり続ける事の大切さを

 

どの時代も

どの世代も

常に考える事が

必要だと思う

 

最近良く聞くけれど

正しく疑うという姿勢を

保ち続ける事が

本当に大切なんだと

私は思う

 

折角生まれてきたのだから

幸せでありたい

 

でも

戦争で

人は幸せにはなれない

 

それだけは

確かだと私は言いたい

 

子どもに会いたいと思って

戦死をした人

許嫁に会いたいと思って

戦死をした人

母親に会いたいと思って

戦死をした人

父親に会いたいと思って

戦死をした人

兄弟に会いたいと思って

戦死をした人

日本に帰りたいと思って

戦死をした人

 

等々

 

その無念は

間違いなく

今の時代にも

目に見えない形で

残されたまま

彷徨っているのだと思う

 

人はマイナスに傾くのは早い

だから

その時に

どうでもいいとか

人任せとか

流れに乗るとか

ではなくて

 

一人一人が

自分の幸せの為

大切な人たちの幸せの為

一生懸命

考えて欲しい

 

そして

マイナスに傾きそうな

世の中を

一人一人の力で

せめてゼロに戻せたら

いいなぁと願う

 

そして

世界中から

戦争が

無くなる事を

切に願う

 

そして

平和は続くよ

どこまでも

という

世界であって欲しい