「もうすぐよ。昔はよく来たのに、覚えてない?」

僕は母について山道らしきところを歩いている。かたわらに弟はいないようだ。

 

左右に木々が立ち並ぶ道。

実際には、山道というより「森の一部」に近い風景だ。

なだらかな勾配が、4歳の子どもには「長い坂道」に感じられたのかもしれない。

木々の密度は、あちこちで変化していたような印象がある。

 

そこは、常楽寺という地区。大船から北鎌倉に抜ける途中。

山間に寺社が立ち並ぶ鎌倉あたりの印象が記憶にあと付けされて、「山」と覚えていたのかもしれない。

 

「ほら、ここから木のトンネルになるわよ。ここを抜けるとすぐだからね」

 

まだなの?

歩くのに飽きてそうたずねた頃、僕たちは、ちょうど「切通し」らしい道にさしかかっていた。左右の木々の枝が、踏み固められた山道の中央へと覆いかぶさり、暗い場所と明るい場所が入り乱れている。木漏れ日のなかをしばらく歩いた。

 

「木のトンネル」。

4歳には「切通し」は、理解できない。「木のトンネル」ならわくわくできる。

 

茶色い小枝と緑色の木々の重なり、虹色の木漏れ日と、足元の土。さまざまな色が交錯した「木のトンネル」が終わると、色調が、突然変わり、視界が開ける。

前は、やや下りながら、カーブを描いている。

左は、木々が途切れて、整地された土地が見晴らしよく広がっている。

 

「緑の芝生のおうち」が、そこにあった。

 

ぱああ。

 

緑色の芝生と、そのむこうにくっきりと建つ家屋。

目と、気持ちが、釘づけになり、そして広がった。

 

着いたわよ、と母が言い、道から少しそれて設置された扉をあけた。

扉から敷地ぞいには、きっとぐるりと、垣根か柵のようなものが施されていたのだろう。でも、僕の記憶にはまったく残っていない。

 

楕円に近い敷地。

扉がある側と、その対面が長辺。むこう側の敷地にそって平屋が左右に伸びている。

 

開いた扉の先に、建物まで、ずーっと緑色の芝生が広がっていた。

子どもの目線のはるかむこうに家屋がある。たどり着くにはもう少し歩かないと…。

 

気持ちがうきうきして、小走りになる。

しばらく走り、ついてくる母を振り向くと、視界全部が芝生の緑になった。

抱(いだ)かれているような風景だった。

 

扉から建物のドアまでは、点々と白っぽい飛び石が続いている。歩幅が合わないながらも、敷石を目安に建物へとんでいく。玄関に着くと、そこから左右に、建物ぞいに敷石が伸びていた。

 

「覚えてない?」

と母に言われた。

記憶らしい記憶は、まったくない。それでも、初めての場所ではないことはなんとなくわかる。景色と空気が、僕を親しんでくれている。見知らぬ場所への不安は、まったくない。

 

不思議なのは、記憶のほとんどが、切通しと、芝生の庭の風景ばかりだ。

家のなかの記憶はほとんど、ない。

あるのは、平たく段差のない屋内。白っぽく無機的な空間…。室内の「もの」の記憶もない。

しかも、生活に根差したたったひとつの記憶は、むしろ悲しみに彩られている。

 

「芝生のおうち」の記憶は、おうちの記憶ではなく、芝生と庭と、木のトンネルの記憶だ。

なぜ、庭と家屋のあいだにそれほどのギャップがあるのだろう…。

 

(つづく)