「レタスは、外葉二枚を残して、本体を包むと保存にいいっていうじゃない?」
「ええ、そうですね」
「その外葉は大丈夫なんだけど、その下から何枚かが赤いんですよ」
2日前の夜に、会社帰りの妻にたのんで、レタスを買ってきてもらった。
重たいのばっかりで、ふんわりしたの、なかったわ、と妻が言った。
今朝、つかおうとしたら、レタスが部分的に赤くなっていた。
3枚目、4枚目、5枚目…、まだ赤い。芯から伸びた固い部分を中心に赤くなるのがふつうだけれど、やわらかい部分にまで赤みが飛んでいる。かなり広範囲にわたる葉っぱもある。
6枚目。まだ赤い。いつまで続く…?
7枚目で、ようやくレタスらしくなった。まだ少し赤い斑点がとんでいる印象もあるけれど。
大きさは半分になった。
最初がずいぶん大きかったから、6枚の葉っぱを取り去ったあとでも、まともに値段をつけられる大きさを保っている。
どうしようか、出かける予定もあるし。
スーパーへの電話を、迷う。まだ開店している時刻でもなかった。
朝食を終えたあと、電話をすることにした。
「レタスのことでうかがいたいことがあるので、青果の、ちょっと詳しい方をお願い」
受付にそう伝えると、ほどなく担当者の声が、聞こえてきた。少し警戒している。
冒頭の会話のあとに、僕は気軽な感じを強めて、たずねた。
「でね、知りたいことがふたつあるので、ちょっと教えてくれる?」
「あ、はい」
「あの、レタスの、この赤いの、って何?」
「あー、配達のとちゅうで当たっちゃうんですよ。傷んだところが赤くなるんです」
「食べられるのかな?」
「いやまあ、食べられないことはないんですけどね」
「味は間違いなく落ちる、ってこと?」
「ええ、まあ、そうですね。でも調理すれば、食べられますよ」
この人は、赤くなったレタスを調理したことがあるかな、と、ちょっと疑う。
でもまあ、今は、それはテーマじゃなじゃい。
「ゆでたり、チャーハンに入れたりすれば、問題ないってことかな…。それでさ、この赤みができるのに、別の理由はないの?」
「別の理由、ですか…?」
思いつかない、と言う感じだ。確かに謎かけっぽい言葉だった…。
「レタスを株から切り取ると、芯からミルクっぽい液体が出るでしょ?」
「ええ、そうですね」
「赤くなるのは、そのミルクっぽいのが葉っぱにつくとなるのかな、って考えてたことがあって…」
「ああ、なるほど…。でも、そういうのは、聞いたことがないです。傷みですよ」
長年の疑問が、解けた…。そして、つながりつつある…。
「もうひとつ、教えて?」
「はい」
「レタスって、ふわっとしたほうが、いい、おいしい、っていうじゃない?」
「ええ。キャベツは巻きがいいものを、って逆ですけどね」
「そうだよね。レタスも巻きがいいほうが、おトクな感じはするのに、ふわっとしているほうがいい、っていうのは、こういう「当たって傷む」ことが少なくなるから、ってことなの?」
「ええ、そうです、その通りです。クッション代わりになって、レタスそのものが傷まないんですよ、それにレタスらしい食感が味わえますよね。巻きがよすぎるものは、はがれにくいですし、ふわっとした感じが消えちゃいますから」
やっぱり、そうなんだ…。
「ありがとう。すごくよくわかった」
担当者が少し慌てたような口ぶりになって
「あの、レタスはお取り替えさせていただきますが…」
「ありがとう、そうだよね。でも、出かけるからさ、これから持っていくこともできないし、どうしたらいいだろう?」
彼は、それから、交換の手順を教えてくれた。
知識は学べたし、スムーズな会話もできた。彼も今はふつうに話してくれている。
数時間後にスーパーを訪ねると、その担当者が、にこやかにこちらに向かってきた。
「先ほどは、ありがとうございました。おかげでいろいろ勉強になりました」
僕は、そう言って、頭を下げた。
「いえ、こちらこそ」
顔を合わせるとなると、いきなりくだけるわけにもいかない。行きつけのスーパーで何度もすれちがってはいるけれど、意識して顔を見るという点では、初対面みたいなものだ。
でも、すでに気心が知れている安心感は、あった。
「あの、お取り替え、でよろしいですか?」
「ええ、お願いします」
どうします? 自分でお取り替えになりますか? というムードを醸す。
「いえ、僕が行ってもわからないから、いいところをもってきてくれますか?」
担当者は、ええ、もちろんと言って、わりと長めに姿を消した。
5分ほどで戻ってきて、切り口の真っ白い、光るようなレタスを差し出してくれた。
青臭いにおいが立ち込めた。もう午後なのに、採れたてたてのにおいなのだろうか…。
「これでよろしいですか?」
レタスのにおいと姿に五感がとらわれて、うまく反応できなかった。
「ええ、もちろん。どうもありがとう」
やっぱりプロが選ぶと、すごいなあ、僕では選べそうもない。
野菜の生産地で採れたてを食べたら、どんな印象をもつのだろう…。