駅に向かっていた。

 

ある一時期、僕は、仕事にむかう妻を駅まで送り届ける朝を過ごしていた。

見送ったあとたいていは、通路を反対側に抜け、実家を訪れて、母とお茶を飲んでから帰宅する。

 

その日の朝、家から50メートルほどのところに差し掛かると、千円札が落ちていた。あたりを見渡しても、落としたらしい人は見当たらない。

それまで何人かとすれ違い、何人かが僕らを追い抜いていったけれど、前を行く人が、ポケットに手を出し入れしていた記憶や、何かがはらりと落ちたような印象は、なかった。

もうすでに落とし主は近くにはいないように思えた。

 

迷ったけれど、拾い上げた。

拾ってから、さあ、どうしたものかと迷った。

 

以前に書いているかもしれないこと。

10歳の頃に、ふだんは見かけない古銭ばかりの小銭入れを拾い、交番に持っていった。それぞれ別の硬貨で305円。穴の開いてない50円玉や5円玉。ひと昔前の書体の漢字が刻まれている100円玉などだ。

 

交番での手続きちゅうに、おまわりさんが305円と書いて、これでいいね? と書類を見せるから、「古いおカネって、書いて」と何度かリクエストした。でも、彼はそれを書かずに、拾得物届の控えを僕に渡した。母も一緒だったが、母は異を唱えなかった。

 

6か月14日がたち、飯田橋まで受け取りに行くと、ふつうの305円が戻ってきた。

これじゃない、と、係員に言って何度も説明したけれど高圧的な態度が続いた。

「何を言ってるんだ、ここにはこれが来たんだから、これなんだ! 早く帰りなさい!」

 

今でなら「隠蔽」という言葉が頭に浮かぶけれど、小学生は、大人の理不尽さに腹を立てることしかできない。しかも、警察なのに、本当のことを聞いてもくれない!

それ以来、僕は警察を少し信用しなくなった。

 

どうしよう、この千円…。

 

ポケットに入れるのは、気が引けた。

警察と同じになっちゃうもんなあ…。あ、警察は、ふつうの価値の305円は返してくれたから、ちょっとちがうか。珍しい305円を自分で取り換えちゃっただけか…。

 

横にいる妻に、何かアイデアある? と聞いてみた。

「えーー、交番はやなの?」

「やだ」

「そうよね」

 

いやな理由は、もうひとつあった。305円のとき、書類作成に交番で数十分を過ごさなくてはならなかった。付き添いの母の疲れ切った表情を、今でも思えている。

朝のさわやかな時間を、そんなことで台無しにしたくなかった。

 

「うーーん、もらっちゃえば?」

「いやあ…、のちのち心に引っかかりそうで、あまり気が進まないなあ」

 

僕は、汚いものを拾ったかのように、千円札の端をつまんで、ひらひらさせていた。

「ちゃんと持ったほうがいいよ」

確かにそうだ。まだ少しひらひらさせてから、手のひらにたたみこんだ。

「今日は、おかあさんのところ、行かないんだっけ?」

「うん。9時ごろにはサークルか何かに出かけるらしい。準備の邪魔になるから行かない」

 

駅に着いた。

じゃあね、行ってくるね、と言って、彼女は改札を入っていった。

 

さて………、

とたんに、インスピレーションがわく。「天啓」に近い。

 

駅の改札から、今、入ってきたほうへ戻り、商店街へと歩みを進めた。

商店街の入り口には、大きなコンクリートの鳥居がある。神社への参道もかねているからだ。

 

商店街をまっすぐに2分ほど進むと、右側に神社がある。

室町時代から続くこのあたりの氏神様だ。この地で生まれた妻や妻の弟、友人たちは、この神社でのお宮参りの写真を残している。

 

僕のお宮参りの写真は、別の神社でのものだけれど、この地に暮らしてすでに47年がたっていた。週に何度か、お詣りをするようになっていた。

 

白くて広い、20段ほどの階段をあがり、拝殿に近づく。

今日は誰も待っていない。

手のひらに握っていた千円札を広げて、箱の中に入れた。

手を合わせて、それまでの顛末を心の中につぶやく。

 

「誰のものともわからないものです。個人のものとしてしまうのもはばかられますので、こちらにもってまいりました。この地域と、もとの持ち主の周辺と、僕の周辺に幸せと平和を」

 

うん、これでいいや。ずいぶん欲張ったけど…。

 

数年たった今も、なかなかいいアイデアだったと、思い出すとにやにやしている。