「一生に一度の惑星直列が、明日の朝、です」
テレビの女子アナが、声を張っていた。2022年6月23日の午後のことだ。
え、惑星直列なの? また?
「一生に一度」?
そうだよね、めずらしいことだ。
でも、「一生に一度」って、何年に一度のことなんだ?
僕は少なくとも二度目だ。
「惑星パレード」という言葉は、初めて知ったけれど。
いいな、この言葉。
惑星が行列をして存在感を示し、ぶいぶい言わしているみたいで、いい。
「パレード」だと、軽さがあって、全部の惑星が並ばなくてもつかえそうだ。
「惑星直列」は意味はとりやすいけれど、ものものしい。
初めて耳にしたのは高校時代だったと思う。
それからそう遠くない未来に、惑星直列の日はやってきた。
「惑星が一直線に並ぶとさ、引力が一方向にかかるから、地球に影響が出るんだよ。歴史上、惑星直列があると、いろんなことが起こっているらしい。とくに気象だね。雨が多いとか、降らないとか、それによって食料が不足して飢餓が起こったりする」
「異常気象がひどければ、世界の終わり、だって考えられるんじゃない? だって、ほかの惑星全部に並んで引っ張られたら、小さな地球なんてひとたまりもないよ」
「僕たちのからだにだって直接、影響が出そうだなあ」
少し専門的に天文をかじり始めた、知恵の浅い高校生は考える。そして、自分で恐怖をつくる。
惑星直列の日が近づくと、その浅知恵と同じような会話と理屈が、世間を覆っていく。なんとなく筋が通っているように思え、正しいのかも、と感じていた。
雑誌やテレビが、食いつく。
ノストラダムスの大予言は、数年前のブームだ。「恐怖の大王」ネタはもう誰もがふーん、程度の反応。商売にならない。そこに新しい「宇宙ネタ」の登場だ。
初めて聞く「惑星直列」に、人々は耳をそばだてた。
マスコミは惑星直列による影響を語り、不安をあおって、恐怖を喧伝する。世界の終わり、の言葉が、「恐怖の大王」以来の復活を遂げる。売り上げも視聴率も上がる。
惑星が一直線になる…。
そういうこともあるよね、と冷静になろうとしながら考える。
外側の海王星や冥王星の公転周期は長い。そういう惑星も一直線に並ぶとなると、何百年に一度かも…。宇宙人が存在する確率よりは高そうだけれど…。
それをもうすぐ体験できるのか…。いいときに生まれたのか、な? それとも世界の終わりに立ち会うのか?
ここまで書いて、あ、そうなのか、と思った。
「惑星直列は何百年に一度」。
今は、「一生に一度」。
僕が初めて「惑星直列」に出くわした頃には、「冥王星」は「太陽系の惑星」とみなされていた。今では別の太陽系の惑星か、彗星のような軌道をとる天体、と思われているんだよね、確か…。
当時は冥王星を含んでの惑星直列だったから、「何百年に一度」と言われていた。今は、海王星までがパレードを行えばいいから、「一生に一度」と、頻度が、少しお気楽になったのか…。
それでも計算が合わない。
僕は、少なくとも二度目だ。しかも一度は冥王星を含んでいる。
調べてみると、2012年にも惑星直列があった。
このときも、「世界の終わり」が、世の中を騒がしたらしい。残念ながら、2012年はほかのことに気をとられ続けた一年だったから、僕には記憶がほとんどないけれど…、三度目、じゃないか。
同じ局のニュースを、夕方の時間帯に見ていた。
フィルムに科学者が登場して、かいつまんだ解説をして、お愛想的にこう結んだ。
「ですから、一生に一度くらいの話なんじゃないですか?」
ただの印象としての言葉だった。
前回は、次回は、といった科学的な根拠なんて、最初から考えていないお愛想。
学者が、「一生に一度くらいなんじゃないですか?」とお気楽に言った言葉を、ニュースのヘッドラインのようにして、あおる、あおる。
針小棒大。テレビらしいや。
そして僕は、こんなふうに思う。
「10歳の子どもでも、二度目の惑星直列だ」
「僕は、三度目なのに、まだ、世界は終わっていない」。
明日の朝、惑星直列の条件のいい時間に、僕は起きられるだろうか?
日の出の45分前。東京の日の出は、4時26分だと言う。