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ウクライナへのロシアの侵攻で、僕は「日露戦争」を思い浮かべた。

大きなロシアが、小さな国の領土をほしがり攻め入る、という図式が似ているように思えた。

 

当時の日本は帝国主義的植民地支配を進めていたから、世界的な視点では、「小国」ではなかったかもしれない。

 

でも、ある大手テレビ局は、そんな小さなことにはこだわらない。「大雑把な印象だけで、ものごとを強引に解説したり、印象付けたりする手法」が大好きな局だ。

 

ニュースショウのなかで、毎夕のように、「一般人のいけない行動」を隠し撮りして「悪」を映し出す。毎夕、別のテーマで隠し撮りをする人々。看視のための看視にしか見えず、正義とはみなしにくいな、と思う。

 

ロシアのウクライナへの侵攻を、日露戦争時の日本の立場と結びつけて、ロシア=悪と決めつけるのは、その局にとっては願ったりの、アイデアのはずだ。

それなのに、「日露戦争」にはまったく触れない。ほかの局でも同様だった。

 

「不思議」は、もうひとつ、ある。

 

政治家周辺を見ると、侵攻以来ずっと、安倍や高市、その他の保守政治家が軍備増強の必要性を訴えている。軍事費拡大に賛成のパネラーの露出度と発言時間が、日に日に増えている。

 

一般人の危機感をあおり、軍備増強こそがこれからは大切と刷り込むと同時に、軍備増強派の考えをコンセンサスとして醸成するのに、絶好の機会だ。

 

それでも、ロシアの脅威を印象付けるために日露戦争が引き合いに出されはしない。

戦争では、「侵攻されたほう(守るほう)が強い」と発言する人はいても、「その例として、かつて日本の領土をロシアが狙ったときには…」とつなげる人はいない。

 

 

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何かの「不都合」があるみたいに思える。誰も口にしないのは、不自然だ。

 

「日露戦争では日本がロシアに打ち勝った」

「日露戦争では、小国日本が、巨大ロシアから講和を提案させた」

 

電波上で誰も発言しないのは、日本人に与えられたこの「常識」が、世界的には「正しくない」からでは、と疑ってみる。

 

どこの国の教科書でも、ある程度は「自国を身びいきする記載」がある。

かつての日本の教科書が、「あまりにも中立的」で、自国の所業を悪くも書いていたため、その後、日本の教科書からは、日本が犯した間違いを記す文は省かれ、「身びいき的な記載」が増えるようになった。

 

「「日露戦争の勝利国は日本」って教える日本の教育は、身びいきを超えてるね」

「日露戦争そのものの原因が、まるでロシアのせいだけになってるなあ」

 

日露戦争を「日本とロシアだけの戦争」とみなすのは、ちょっとちがうらしい。欧米列強の利権が微妙にからみあい多くの国が日露どちらかに与する、世界大戦のような一面もあったという。

 

教科書に記載され、日本人の多くが「歴史的事実」と考えている「日露戦争についての結末やあれこれ」は、とくに欧米人のもつ「歴史観」とはどこか乖離がありそうだ。その乖離は、教科書のなかだけで完結していれば問題になりはしないだろう。どこの国でもやっていることだ。

 

でも、そんな「常識」を電波に乗せて発信してしまったら、海のむこうで日本のテレビを見た誰かからクレームがつき、大事になるかもしれない。

 

テレビで「日露戦争」が、お気軽に語られずNGワード的に扱われているように思えるのは、そんな理由があるのかな、と感じている。今のところ妄想だけれど。

 

 

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「歴史は勝者の記録」。

同時に、「歴史の断片」が都合よく解釈され、つかわれてきているのも事実だ。

 

いい機会だ。この際、そういう「為政者の都合」から離れた評価を知りたい。

「日露戦争の、世界的な評価」を知りたい。

 

イギリス人は本当にロシアが嫌いだ。

僕は何人ものイギリス人から、ロシアについて同じ評判を耳にしている。

「あんな嘘つきの国を信じるほうが悪い」

 

「嘘つき( a liar )」は、イギリスでは最大の侮辱を含む言葉のひとつである。

 

イギリス人なら、「嫌いなロシア」にも「歴史的なかかわりの少ない日本」にも、遠慮することなく、評価をしてくれるはずだ。

ブラックな表現でもいい。日露戦争はどんなふうにとらえられているのだろう?