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「日露戦争ではロシアが日本に攻め込んできました。でも、守るほうが強いんですね。日本は必死になってロシア軍と戦い、ついに勝ちました。それが日露戦争です」

 

小学校のときに、僕はそう教わった。ほぼ同世代の妻も同じだと言った。

今は、どう教わっているのだろう? 1980年でさえ、アメリカのある州の教科書には「現代の日本」として、ちょんまげの人々の写真が掲載されていたという。日本の歴史教科書も、この30年くらいで、「大化の改新」をはじめ、大きく変わった。

 

中学や高校になると、もう少し踏み込んだ事情を知らされるようになる。日露戦争はロシア革命と重なり、ロシアは、日本との戦争どころではなくなっていた。日本も戦費がかさんで困っていた。ロシアが講和を求めて、日本も合意した。だから、勝者はない、と。

 

それでも、日露戦争当時の人々の目は、別の「事実」に向けられていたようだ。

日本海海戦における東郷平八郎の知略と勝利。人々が信じたのは、そうした勇ましく誇らしい逸話だ。そして小国日本が、どれほど巨大な国を相手に勇敢に戦い、勝利を得たか…。

 

富国強兵、欧米列強に肩を並べることに心血を注ぐ明治政府。そのための国威高揚策。当時の人々が、東郷平八郎の偉業を口の端に上らすのは当たり前だ。

 

でも昭和末期の「バブル」が終わっても、日露戦争のそうした逸話は、何年かに一度テレビでドラマ化されていた。日露戦争から85年もたち、その間に「民主主義国家」となったはずなのに、同じトーンで描かれる戦争…。

 

神風神話。

日本は特別な国、というコンセンサスが国民に植えつけられているのかもしれない。

政治家が、それを放っておくはずはない。

 

蒙古襲来時に台風がやってきて、蒙古の船を追い払った。

日清・日露戦争の「連勝」で、日本にはつねに神風が吹くという印象がつくられ、第二次世界大戦では「神国ニッポン」がアメリカに負けるわけがない、と、戦意をあおった。

 

結局、緒戦以外は負け続け、最後は「「神風」特攻隊」と言われる捨て身の戦術だ。

今度は、若者たちに命を捨てさせるために、「神風」を用いた。

一方、戦争の最高責任者は、東京裁判でバカを装い、自分の命を長らえようとした。

 

「神」と「戦争」が結び付けられた発言に、日本人の多くがアレルギーを起こすのは、このふたつを利用して、国民の命を無駄に散らせた「日本の政治家のやり口」を思い出すからだ。