ウクライナ侵攻をめぐるニュースで、ちょっと不思議に思うことがある。

テレビ局好みなのに、ニュースショウでは触れられない「歴史的事実」について。

日本の歴史の「常識」にさえ、かかわることだ。この文章の(2)に登場する。

 

僕はテレビをそう多くは見ないから、ひょっとしたらその「歴史的事実」を扱っている場面が、すでにあったのかもしれない。それならそれで、僕が抱いている問題は解決…。与太郎が、知りもしないでバカなことを言っている、ですましてください。

 

 

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数年前に、ロシアがクリミア半島をあっという間に奪ったとき、第二次世界大戦終結直前のソビエトの動きも、こんなだったんだろうな、と感じた。「日ソ中立条約」を一方的に破って日本に宣戦布告後、北方領土を奪った。クリミア同様、電光石火の勢いだったのだろう。

 

寒く、資源の少ない巨大国家は、すきさえあれば「豊かな」地域へ食指をのばす。ほしいものは、すぐにとる。クリミアへの侵略は、慣れてるなあ、という印象をもたらした。ほしいからとるのだから、返すことなんてあり得ないだろう。

 

戦争でとらえた捕虜も貴重な人的資源として、寒い地域での過酷な労働に従事させる。人道を無視しても自国の国力が上がれば、寒冷地のリーダーとしては、国民の信頼を得られるのだろうと思う。

(今でこそ天然ガスや石油の輸出で、国力を保てるようになっているけれど)。

 

3か月ほど前、ロシアはウクライナを侵攻した。

「日露戦争」が、すぐに頭に浮かんだ。

 

攻めるより守るほうが強い。自国の領土を脅かされる側は本気になって防衛する。攻め込む側は、当初こそ、戦争短期終結を求めて意気込むけれど、長引けば途中で、大義を見失う。

 

なぜ「異国で」自分は戦っているのかを、冷静に考え始めたら、ジレンマに陥る。

最初から、その地や人々を蹂躙する理由があるのかと自らに問う戦士もいるだろう。

戦争が進み、人を殺す。理性がとび、血がたぎり、女を犯し、住民をひどいめにあわせる。殺し合いが何日も続いて正常でいられるわけがないから、気がちがったような行動に走る。

 

正義と思わなければ、やっていられない。でも、小休止の時間に我に返る。

人を殺してしまった、人々をひどい目にあわせている。この戦争は、本当にウクライナに非があるのか…、ロシアを救うためにしかたない戦いなのか…。

 

一方、ウクライナは必死だ。自国を占領されるかもしれない、家族が殺されるかもしれない。どんなことがあっても、防衛しなければ…。はっきりした目的がある。その達成のためには思考にも冷静さが求められる、

 

そんなウクライナの姿を世界中が目撃しているときに、世界平和のためにウクライナは降伏すべきだと、元大阪府知事の弁護士が言った。人の尊厳を守るべき弁護士が、他国の存続危機の際に、ウクライナ人は国をあきらめるべきだと語った。

 

ちゃんちゃらおかしい。突き詰めれば、自分や家族に累が及ばないように、今のうちにウクライナは矛を収めて、領土をロシアに差し出せ、そうすれば、自分と家族は安泰だ、との発言に過ぎない。

 

もし世界平和のために、家族と君自身を差し出せと言われて、こいつは、できるのだろうか? こうして「弁護士」の価値が下がっていく。