好きな洋食ランチを食べに行った。夜はフレンチレストランの、昼のふるまい。
場所は、京橋。銀座と日本橋に挟まれた地域。
銀座や日本橋と同じくらい歴史はあるものの、そこまで有名ではないから、かえって僕の好きな店が多い。リーズナブルな値段で、満足度の高いうまさ。
コロナになってからは、この店に訪れる頻度も落ちている。理由はあるルール。
「開店直後の一回転めでなければ、混雑するレストランには入らない」。
コロナになってから、自分で、そうルールを決めた。
混雑する店でなければ、入ることもまれにあるけれど、この店は、混む。
開店の11時半についたのでは、たいていの場合は、遅すぎる。
今年になってからにかぎっても、店にたどりつきはするものの、ルールのためにあきらめたことが何度かある。あきらめたおかげで新しい店と出会うこともあるけれど。
この店は、開店10分前までには扉を開け、外で待つ客に順次、メニューを渡していく。一度に5,6組。5分たたないほどで、再び出てきて、客の注文を聞くと同時にメニューを回収し、次の5、6組に回収したメニューを渡して、5分後にまた注文をとりに出てくる。11時半までに3回ほど繰り返し、最低でも15組くらいの注文が、開店と同時に厨房に伝わっている。
席数は54席だったと思う。
注文を取り終えた客を、開店5分前から順次、席に案内する。メニューは渡されているものの、まだ注文をとられていない客は、店内のキャッシャーのそばで待たされ、注文を聞かれてから、店内に案内される。
注文をとった人を通したあとは、残りの席に客を入れてゆき、席で注文を聞く。
今日は、11時10分にその店の列に並んだ。その時刻にしてはやや長めの列だった。
ふたり客は4人席に、ひとり客はふたり席に案内される。唯一の相席は、4人席に「おひとりさま」をふたり座らせる場合のみだから、30人から40人ほどで、一度めは満席になる。
たまに、「花見の場所とり」めいた人々が、自分より前に3,4組いることがある。
あとから、そうした人に別の人が加わり、入場前に順番が6人くらい落ちて「目論見」が崩れてしまうことがあるけれど、今日は、整然と進んだ。
僕の前には、50歳くらいのブルーカラーの制服を着た男性と、30代後半の女性が並んでいた。
ふたりは、1、2年前まで職場が一緒だったものの、今では(会社は同じでも)ちがう場所に勤務しているようだった。
「なんであたし、この店、知らなかったのかなあ。新しくできたの?」
「え? ええ? 新しく? いや前からあると思うよ」
男性はやんわりと否定した。僕の知る限り、京橋のフレンチとしては相当に古くからある店だ。
女性からは、店の知識には自信があるのにという不満そうなトーンが聞きとれる。
やっぱり洋食屋はさ、ドミグラスとタルタルだよね、ハンバーグと、フライやクリームコロッケ、それとメンチかなあ、と相談をしている。
男性が、別々のものをたのむのがいいんじゃないか、できたらシェアしようよともちかけると、女性は「ふたつのもの」には前向きでも、シェアは遠慮したいようだった。自分のものは自分で食べたいと言い、誰が何を食べるかに、議論は絞られた。
やがて2回転めのメニューが、彼らまで渡された。
ひとりで並んでいた僕は、ふたりが一緒に見ているメニューをのぞき込める位置にいた。
エビフライを食べたくてここに来た。
でも、ふたりの会話を聞き、彼らがもつメニューの文字をのぞき見るうちにいろいろ考え始めていた。ミックスフライとエビフライの差は200円か…、あれ、ミックスフライの内容が変わっちゃったなあ、新しく追加されたのがあれかぁ、うーーん…。
メニューによっては売り切れになることもある。なかでも人気なのはポークジンジャーだ。以前、順番待ちで前後になったアメリカ人女性と話してみると、彼女は、そのポークジンジャーを食べるために立川から来たのだと言った。中央線の特別快速に乗っても、立川で電車に乗ってからこの店の前までは40分はかかる。
ポークジンジャーは、一時それほどの人気だった。25人めくらいでポークジンジャーが売り切れになったこともある(20食限定だったと思う)。ランチメニューは10種類くらいあり、どれも相当にうまいのに。
「花見の場所とり」みたいな人により「目論見」が崩れる、と書いたのはそのためで、割り込みのために直前でポークジンジャーが終了になったこともあった。
前のふたりは、メニューを食い入るように見ながら、これはつまらない、王道はこれだ、などとかえってややこしくなっていく議論を繰り返していた。女性はスマホを片手に、その店のメニューの写真を、男性に見せ続けていた。
店の人がメニュー回収に来ても、決まらなかった。
じゃあ、またあとで来ます、と言って、店の人は、今、回収してきたメニューを一部、僕に渡そうとした。
いたずら心が、芽生えていた。
僕は、少しはっきりした声でたずねた。
「「まだ」、ポークジンジャー、ある?」
店の人は、ええありますよ、と答えた。じゃあ、ポークジンジャーを、と言うと、ひとしきりメニューを配ってから、あらためてうかがいますと言って、彼は去った。
列が動き始めた。すでに注文を終えた人たちが、席に案内され始めていた。僕のふた組前までが店内に消えて、僕の前の男女と、僕以降の人々は、扉を入ってすぐの、キャッシャーのそばで待たされていた。
「ご注文、お決まりになりましたか?」
前の男女に店の人がたずねると
「ポークジンジャーください」
「あ、あたしもポークジンジャー」
この店では、客の注文を書いた伝票を客に渡して、それを持たせたまま席に案内する。店の人は、そのしきたり通りに伝票を男女に渡してから、今、ご案内しますから少々お待ちくださいと言って、僕に向き直った。
「お客様は?」
「あ、僕は………、エビフライにします」
店の人は虚を突かれたように、少したじろいだ。そう思ったのは、彼が伝票に「エビ」となかなか書かなかったから。「ポーク」と書くつもり満々だったため、混乱しているように僕には見えた。この人には申し訳ないことをしちゃったな、と思った。
でも、前の男女の反応には、僕は大満足だった。
僕の言葉を聞くなり、ふたり同時に、大きくすばやく、僕のほうへ振り返った。
アハハハハ、よかったじゃん、悩まずに決められて。
しかも、仲よく「同じもの」をたのめたし、ね。