3、4か月イギリスに滞在して、日本に戻った。
そんな短期でも、イギリスのリズムやムードに慣れてしまう。
空港から都内へ戻るスカイライナーの窓のむこうには、アジアの景色が広がっていた。
アジア経験は、香港でのトランジットだけ。当時は旅行歴は皆無だったけれど、東京はアジアだと思った。
まちまちの高さのビルの家並み。電線がはりめぐらされた地べた…。整然としたヨーロッパとは明らかに違う、カオスに満ちた景色が僕の目を通り過ぎていく。
「惑星ソラリス」につかわれた近未来的な首都高速道路の造形や、「ブレードランナー」に描かれている混とんとした街こそ、ヨーロッパ人が惹かれる「アジア的な何か」なのだろう…。
東京に戻って2、3日。荷ほどきもすっかりすみ、友人にも少し会った。
帰国当初にはいつも、猥雑さとスピード感に圧倒される。でも、生まれ育った街だ。数日で東京のリズムが体内に戻ってくると、ゆとりが生まれ、世間にも目配りができるようになる。
不在中に起こったらしい、「日本の変化や東京の変化」に気づく。
このときは、テレビに毎日のように映っている女性、に気持ちがひっかかった。
「まったく知らない人」だ。
日本を離れる前には見たこともない顔に、テレビをつけるたびに出くわす。
その人と僕の時間が、切り放されて動いているような気分になった。
出かける前にちょっと売れ始めてたよね、あの子がブレイクしたのか…、というのではない。かといって、最近、売れ始めたという感じでもない。
どの番組でも、前からそこにいたかのような存在感だ。司会者は、皆が彼女を知っている前提で進行する。プロフィールなど、どの番組でも紹介してくれない。
今なら、ひな壇に芸人が並んでいて、ひきもきらない会話のなかから、彼女の正体に検討をつけるのも難しくない。テロップもふんだんに出るから、情報を逃しもしない。
でも、当時は、司会者がゲストの話を引き出す手法がメイン。たまにほかの出演者が控えめに話に入ったりする程度で、彼女が何者かのヒントはなかなか得られない…。
20代なかばくらい。「売れてるオーラ」がきらきらして魅力的だ。
謎だらけの存在に見入ってしまう。
名前は? 女優? それとも歌手?
なぜこんなに唐突に売れているの…?
胸のゆたかさがウリのひとつらしいから、グラビア系の人なんだろうな…。
最初の手がかりはそんなところだった。
彼女を「天然」扱いする人もいることはいる。でも、受け答えはごく常識的で、当時のグラビア系からは離れている感じもする…。
僕は、画面を食い入るように見て、耳をそばだてて、誰なのかを知ろうとした。
何人かの友人にもたずねてみたけれど、僕が伝える特徴だけでは、目星がつかないらしい。言葉でうまく説明ができないやるせなさが募る。
日常のなかのある期間に売れたタレントが誰か、なんて、確かにふつうは意識しない…。僕にとってだけ特別な存在になっているに過ぎないのだ。
かとう、さん。
ある日、姓がようやくわかった。
次に「クラリオンガール」という言葉を耳にした。当時のグラビアアイドルの王道だ。
僕がいない数か月で大売れしたのも納得ができる…。
かとうれいこ、さん、だった。
日本人の多くが当たり前のように知っていて、僕だけが知らない人に出くわす…。
浦島太郎は、こんな気分だったのかもしれない…。
こんなことも、あるんだな。
かとうさんの名前は、ある時期からあまり耳にしなくなった。
芸能活動に執着していた印象もない。
でも、僕は今でもたまに思い出す。顔立ちや存在にとくに惹かれたわけでもないのに。
ところで、あれはいつのことだったのだろう?
僕はあの頃、何度かロンドンを訪れ、滞在期間もばらばらだった。
そのうちのいつの滞在後のことなのかが不明瞭だったから、ぼんやりと「数か月の滞在」と記してきた。
僕が最後のロンドン滞在から戻ったのは1991年。その前は1987年だった。
「かとうれいこ」さんが、その名を名乗って活動していた時期は、1989年からという。
ならば、僕が玉手箱を開けたくなったのは、1991年だ。
そのときのロンドン滞在は、25週間。
浦島太郎ほど世間は変わってはいなかったけど、彼の不安定さは少し理解できたかもしれない。