11月18日。東京のコロナ感染者が500人にせまり、感染レベルが「赤」に引き上げられそうだ、と報道された。その前日、11月17日に、僕は築地場外を訪れた。

 

5か月前、緊急事態宣言終了から間もない頃、考えられないほど閑散とした築地を目の当たりにした。

 

その4か月後の10月、僕は豊洲を初めて訪れ、築地との違いを知った。

豊洲には、築地のコンパクトさがなかった。人との近さも感じられず、これから僕はどことどう付き合えばいいのだろうという思いに覆われ、気持ちが落ちた。

 

5か月ぶりの場外市場にさしかかったとたん、肩の力が抜けた。

元通りではないけれど、「12時前なのに多くの店が開いていた」し、それなりに歩きづらかったから。6月には、店が閉じ始めていた時刻だった。

 

ステイホームが言われる前、2月に築地でかつお節を買った。それ以来、4,5か月に一度しかここにかつお節を買いに来ていない。極力、自宅周辺から出ずにいたため、ふた月に一度は買いにきていたかつお節も、「その辺」ですませていた。

 

6月。緊急事態宣言が解除されて2週間がたった頃、僕は場外を訪れた。

まだ2週間、だから、ふだんのように人は出ていないかもしれないけれど、まあ少しは戻っているだろう…。

 

まったくの妄想だった。

 

晴海通り側から場外市場に入ろうと路地を覗いたら、200メートルくらい先にある、かつての築地市場の外塀までが、まっすぐ見通せた。

 

人がいない。本当にいない。

人の姿も頭もないから、路地の奥まで見通しがきく。こんなに人口密度の低い築地場外は、夜の部の歌舞伎がはねたあとにしか見たことがなかった。

 

店も寂しい状態だった。半年前までは、13時半頃までは多くの店が開いていたのに、この日は、正午前だというのにシャッターが目につく。さらに店じまいを始めている店もちらほら。客もいないから、築地の「威勢」など、感じられるはずもない。

 

いつものかつお節店に向かう。ちらっと見て一度、素通り。その店も周辺もひっそりとしすぎていて、いたたまれない。声をかけられない…。まず、場外全体のようすを見てみよう…、そう思って立ち去った。

 

かつての場内への入り口、波除神社辺へ向かう。入り口横に陣取る間口の広いかつお節店も、すでに戸を閉めていた。やめちゃったのかな、と思うほど侘しい。地下鉄駅からもっとも離れてはいるとはいえ、かつては場内の入り口に位置した立地のよさから、賑わっていた。

 

でも、場内が閉鎖された今は、ただの、「駅からもっとも遠い場所」になってしまったように見えた。ふらっとこの店付近まで足を延ばす人は、常連客と波除神社への参拝客を除いたら、かなり少なそうだ。

 

市場が豊洲に移転して、まる2年がたった。場外は変わり続けている。

場外市場の華は、南北に伸びる路地の路面店である。そこからさらに商店棟のあいまへと細い道があいていて、小さな店が軒を連ねている。

 

観光客は、たいていはメインの路地を見て歩き、合間に伸びる小路には入っていかない。そうしたところの店は、場内で働く人や地元の人、相当な築地通を相手にしていただろうから、市場の移転をきっかけに閉店した店も多いようだった。

 

移転の1年くらい前には、すでにそうした変化は激しさを増していた。

おでん種や練り物の「佃權」が廃業し、閉場とともに、伊達巻などの「入船」が撤退した。僕の生活の一部にも変化が起こった。

 

そんな変化を経ても、築地には相変わらず人が押し寄せていた。移転前から少しずつ増えてきた飲食店や「ちょっとした立ち食いの店」で、楽しそうに食事選びをしている観光客の姿が築地の新しい日常風景となっていった。

 

たぶん、この狭さがいいのだ。わずかな空間におもちゃ箱をひっくり返したように並ぶ箱庭的な空間。そして、呼び込みの威勢。

 

ところが6月のこの日、そんな客の姿も呼び込み声も築地から消えていた。

 

すいすい歩ける。むこうが見通せる。混んでいたのは、正午過ぎのわずかな時間、飲食店にランチにやってきた勤め人が集中したときだけだ。築地交差点そばの鶏肉卸の店で売っている各種の鶏料理弁当、そしていくつかのリーズナブルなランチ。

 

大通りの門跡通りぞいの路面店を除いては、賑わいはわずかな時間で終わってしまった。そして、ランチタイムの始まりとともに、乾物店などが店を仕舞い始めて、もの悲しさはぬぐい切れなかった。

 

築地の交差点にもっとも近い乾物店の若い人に声をかけた。

「ずいぶん早く終わっちゃうようになったんだね」

「あ…、そうですね。ここのところ早くなってます」

「まだ12時なのにね」

「ええ、最近は、昼頃には店じまいを始める店が増えてます」

「こちらは?」

「12時半くらいには…」

 

場外全体に、どこか、あきらめムードのようなものがあった。だから、早く賑わいが戻るといいね、などと軽口もたたけなかった。

ちょっと回ってくるね、と言って、その場をあとにした。

 

ほかの乾物屋を覗く。以前より、ものが安くなっているようだ。

2軒の店で「あおさ」100グラムが1000円で売られていた。品薄なときには築地場外でも1グラム40円していたものが10円になっている。

 

「なんでこんなに安いの?」

店の人が声をかけてきたから、たずねた。うちは大量仕入れですから。でも、こんなに安いのはこれまで見たことはなかったよ、というと、黙ってしまった。

 

いじめてるみたいでいやな空気になってしまったから、ひとつもらうよと買い求めたけれど、家に戻って見てみると、黄色く変色している部分がたくさんあった。いくら安くても、前は、ここまでのものは売っていなかったよな…。

 

もっとちゃんと見てから買えばよかったのかなあ…、いつもの店で買っていれば、こんな思いを抱かずにすんだだろうか。

「目利き」がいなくなった今、築地場外はいつまで健全であってくれるだろう。

 

プロが集まるからこそ、飲食店も小売店もへたなものは出せない。目利きを納得させる店、場外で働く人々が通う飲食店という矜持が、「築地はうまい」の評価を確立してきたのだと思っていた。

 

観光客相手の商売になっても、初めは築地は頑張るだろう…。でも、そのうちに…。以前から抱いていた危惧が、コロナをきっかけに現実になりつつのあるのだろうか? コロナ前は、サービスや味が、目に見えて低下したようには感じずにいたけれど。

 

「あおさ」の値段と質は、その始まりを告げるような衝撃があった。

(つづく)