2020年2月4日。立春。正午。快晴。
僕は、銀座四丁目の交差点にいた。
10時前にかかりつけの大病院での面談を終えた。
外出時に、昼ご飯をどこで食べるか、は、僕の大問題のひとつだ。ただその日は、「ランチ」を考えるには、あまりにも早くからだがあいてしまった。
「築地」がある頃なら「場内で寿司」と足が向く時刻だったけれど、築地市場はもうない。じゃあ…。もう何度も通っている焼き鳥屋の「唐揚げランチ」を目指した。お酢で食べる唐揚げ。やみつきになる。
茅場町のその店に10時50分につくと、すでに10人の行列ができていた。ランチタイムは11時から13時20分頃。「頃」というのは、たぶん、昼用の鶏肉が売り切れる時間をさしているのだろう。兜町が近く証券マンが多いから、早くから混雑するのだ、という噂を聞いたこともあるけれど、前場の終了時刻前から並んでいる。
昼食後、日本橋を経由して銀座まで歩いた。裏通りから松屋に入り、地下2階で味噌を買った。20年近く愛用している味噌。都心のあちこちのデパートで買えたのに、今はここでしか買えない。デパートの客層が大きく変化したためだろう。
この味噌を買い始めた頃、デパート客の95%以上は日本人だったと思う。でも、今ではデパートは売り上げの多くを中国人にたよっている。
日本人の食生活も変わっただろうし、ネット通販もごく一般化している。「デパートで」「重たい味噌」なんて、なかなか売りづらそうだ。
松屋から地下街を抜け、三越の地下2階でパンを買って、エスカレータを上がった。あとで思い当たったことだけれど、地下1階の化粧品売り場がいつになく歩きやすかった。いつもはほかの客とすれ違うのに苦労する場所だ。
地上の正門から、銀座4丁目の交差点に出た。三越のライオンが僕のうしろにいた。(のちのちこのライオンはコロナ対策のマスクをするようになった)。
和光の鐘がちょうど鳴り始めた。この鐘を聞くのも本当に久しぶりだ、と思った。
ああ、正午だ。…また、正午だ…。
僕は、時計塔が正午を打つときにたまたま居合わせることが多い。ロンドンでも、ビッグベンやセントポールの時計台の近くを正午に通りがかり、写真を撮ったのを憶えている。
鐘の音を耳にして、どこかほっとした気持ちになった。
あれ? なぜ?
この1年間だって、間違いなく耳にしていたはずなのに、「久しぶり」?
時計台を見上げると、そのむこうに空がくっきりと広がっていた。
さっきまでは少し雲があったのに、すっかり晴れ渡っていた。
うーん…。僕は、背伸びをした。
なぜ僕はこんなに晴れやかな気分なんだろう?
しかも、実際に、銀座で、背伸び?
あ…人…。人がいないから、伸びもできるし鐘の音もきちんと耳に入る…。
この15年以上、銀座の通りは、つねに人ごみだった。その混雑度は日に日に激しくなっていた。あまりに観光客が多くなって、気持ちよく歩ける限界を超えてしまったから、僕は10年ほど前から、散歩コースを日本橋へシフトしていた。でも、日本橋にもここのところ観光客が押し寄せるようになっている。
僕が銀座になじんだのは、歩きやすい街並みなのに、人が少なかったためだ。
僕の大学時代、人々は山手線の西側に押し寄せていた。渋谷や新宿のデパートが活性化し、学生も、新宿や渋谷や青山、吉祥寺で遊んだ。
僕は、いろいろな点で中央区と縁が深く、10代から銀座に足を運んでいた。大学生になって、映画や散歩のために頻繁に訪れるようになると、人出の多くない銀座は、歩きやすく、「自分の街」として楽しむのにちょうどいい場所と思えるようになった。
大学生には、当時の銀座のランチには手を出せなかったけれど、少し離れた東銀座や築地に入りやすく好きな店を見つけるたびに、銀座が「楽しみのある街」の彩度を増していった。
その「自分の街」が、今、目の前にあった。
正午の鐘が鳴ったから、ぼちぼちランチ目当ての会社員が出てくるだろうけれど、今は、サラリーマンの姿もまだ少ない。
ああ、そうか。コロナウイルスのせいで中国人がいないのか。
1週間前の水曜日に、僕は築地場外を訪れていた。すでにコロナウイルスが危ないと言われ始めていた時期だったけれど、市場の公休日にもかかわらず、場外はツアー客でごったがえしていた。…わずか1週間で、ようすはがらりと変わったのだ。
今では、中国では団体の海外ツアーが禁止された。あのときには、禁止される前に日本に入ってきていたツアー客がまだいたのだろう。彼らが帰国したために、観光地から人が消えたのだ。
4丁目の交差点から、京橋方面へと歩いた。「あさイチ」の撮影クルー3人が、誰かにインタビューをしようとかたわらに陣取っていた。でも、人がいないから、ぼんやりと立っているだけにしか見えない。銀座とは思えない風景だった。
そんな銀座通りを僕は、いつのまにか闊歩していた。
あさイチのクルーを振り返った。まだ手もち無沙汰に見えたけれど、きっとこれからの時間は、ランチに出てくる人を捕まえられるだろうな、と思った。
久しぶりに、この街を堪能していた。
その辺の人にまで目を向けられるくらいの人出が、散歩にはいい。