「源平藤橘(げんぺいとうきつ)、という言葉があります。歴代の政権を担ってきた氏族は、すべてこの一族に集約されている、という意味です」
源平藤橘とは、源氏、平氏、藤原氏、橘氏のこと。
僕がこの言葉を初めて耳にしたのは、たぶん、高校三年時の大学受験のための夏期講習のとき、だった。イレギュラーな授業だった印象がある。
その言葉を父に伝えたら、
「違うよ、なに言ってんだ。源平藤橘っていうのは、すべての氏(苗字)の始まりは、このどれかに行きつくっていうことだ」
「えー、そうなの? だって先生がさ…」
「馬鹿野郎、教師と俺と、どっちが正しいと思ってるんだ」
正解は、いまだに確かめていない。この記述を始める前に、確認しようかとも思ったけれど、調べると、かえって文章のじゃまになりそうな気がして、やめた。
「源平藤橘」をきっかけに、僕は「氏」の分岐について考えるようになった。予備校教師の言葉より、父の言葉のほうが頭に残った、のかもしれない。
もう少し以前、なるほど、と思う別の言葉を聞いた。僕らより下の世代は、きっと初めから「渡来人」と習っていて、「帰化人」のほうが奇異に感じると思うけれど。
「小学校では、古代に日本に渡ってきた朝鮮半島や中国からの人を「帰化人」と習ったかもしれませんが、これからは「渡来人」と呼ぶことにしましょう。帰化というのは、ある国の人が別の国の人になることを指す言葉ですが、国のかたちが今ほどはっきりしていなかった古代では、昔の中国から日本に渡ってきたとしても、別の国の人になる、という意識はなかったはずですから、「日本に渡ってきた人」つまり「渡来人」のほうが、ぴったりとします。古代には相当に多くの渡来人が日本にやってきています。まあおそらく皆さんの祖先のどこかでは、渡来人やその子孫との混血が行われているはずです」
要約すると、そんな内容だった。たぶん高校一年生のときの、日本史の教師の言葉だ。東洋大学の講師だった人が、日本史だけを教えに来ていた。
僕の高校の半径2,3キロのところに、朝鮮高校があった。
当時は、ヤンキーの前の「ツッパリ」の時代で、彼らはしばしば朝鮮高校の生徒とけんかをしていた。日本対朝鮮半島の人々、の闘いはこの頃から身近だった。
苗字と渡来人の知識を得てしまうと、身分や国のちがいを根拠に人を区別するなんて、と心が本当に軽くなったのを覚えている。
だって、源平藤橘のどれかに行きつくなら、ほとんどの日本人の血には、0.001%かもしれないけれど天皇家の血が流れているし、0.1%くらいは少なくとも渡来人の血が流れているはずだ。
「うちの家系は尊い」と威張ったり、「そんな発言をすると右翼がでるぞ」と脅したりする人がバカバカしく思えた。朝鮮半島の人々とのちがいを求めても、僕らには必ずその血も入っている…。
僕は、ヒロくんと生まれ年が同じなので、昔から親近感を持っていた。血縁的にもわずかに関係があるかもしれないと考えると、親近感もひとしおだ。
この方も大学で日本史を専攻した。日本史を専攻すると決めたときには、南北朝の問題を抱えているのだから、日本史を勉強してはいけないのではないか、という話題が世間にかまびすしかった。
日本史を勉強したのちは、ある切り口でめしのたねにするつもりだった。
その目論見は、はかなくも崩れたけれど、でも、こうしたものの見方が高校で身についた。日本史というローカルな勉強からでも、グローバルな視点やフラットな意識を持つためのスタートラインには立てたみたいだった。