3月の落語会が、終戦記念日とその翌日に延期された。

紆余曲折は、もちろん感染症のためである。一度8月16日に延期されて感染者数が落ち着き、でもその後、第二派らしきものがやってきて、前の15日を含めて2日間の開催になった。

 

それでも、僕は寸前まで「やるの?」と思っていたし、志の輔師匠サイドも、「本当にやるの?」と協議を重ねたらしい。東京は感染症の諸悪の根源だ、東京在住で田舎のある人も帰省すべきじゃない、とまで言われると、動いていいものか考えてしまう。演者ひとりが語る芸で飛沫はなさそうだし、できればやってほしい、とは思っていたけれど。

 

かつての新年の、「志の輔らくご」公演(PARCO劇場)が一段落して以来、三鷹のこのホールでの年に一度の公演を見るのが恒例になっていた。

 

暑い日だった。お盆休みの週になってからは、毎日のように35℃を超えていた。開演時刻は12時。真昼に始まり、もっとも暑い14時に終わる会。しかも光のホールへは、駅から徒歩で25分。さすがに歩けない。乗車したバスは満員。この数か月でもっとも密だった。

 

三鷹の落語会の責任者は、落語好きにはよく知られた方だ。ハッピ姿で出迎えてくれる公務員。なかなか洒落ている。でも、近頃はスーツ姿。出世したらしいよというひそひそ声に、あの格好はもうさせてもらえないのかもと残念に思う。

 

ちなみに、この数年、劇場でよく耳にする、「コンビニや本屋さんのレジ袋などの、カサカサ、という音は、案外、気になるものでございます」というフレーズを発明したのは、この人だと、僕を含めた落語好きは、思っている。

 

会場は、1日の公演を2日に分けたため、35パーセントか40パーセントほどの入りだった。ソーシャルディスタンスを意識した席の割り振りで、入れていない列もあった。妻と僕の席番号が32と33と並んでいて、あれ? と思ったら。列がちがい、ななめ前後の席だった。

 

「私、二つ目のとき以降、空席が多いという状態で落語をしたことがほぼありません」

 

そうだろうなと思う。二つ目の頃から本当に楽しかった。「落語のピン」に出て数か月で、小朝に追いつきそうだ、と思ったほどに。その後、談志師匠や立川流の面々によって、ホール落語は根づいてきた。ホールの座席数分の集客ができたからだ。

 

「しかし、お客様のほうからしますと、ほかのお客さんを気にせずに、これだけゆったりと見られるのは、とてもいい環境なのではないかと思います。コロナのせいではありますけれどね。先日も文珍師匠の会に呼んでいただきまして、空席がありました。文珍師匠ですから発売後即完売が当たり前ですよ、それでもコロナで空席があった。でもそんなときの会は、会場が一体となって、最後に拍手が起こるような、とてもいい会だった。数じゃないね、お客さんの内容だね、コロナにも負けず…。そんなことを話しておりました」

 

会場はアハハハ、と笑う。でも、ちょっとプレッシャーでもあった。今日はそこまで連帯感のある会に、僕らはできるのだろうか…。

 

じつは、この会は、延期されたために、観客の知らないうちに特別な催しと化していた。僕らは、ただの「志の輔独演会」として、チケットを買っていた。

 

開演時刻。幕があがると、口上の舞台ができ上がっていた。一段高い舞台に、志の輔師匠と弟子らしい紋付き袴姿が座っている。

 

「ここにおります私の三番弟子、立川志の春が4月1日に真打昇進をいたしました。しかしながら、折からのこの状況で、すべての披露目ができないようになりまして、お客様の前で話しますのは、真打昇進後、今日が初めてでございます」

 

マリオンでのパーティなどのイベントが延期になったという。そんな彼の、昇進後、初めての落語を僕らが聞ける。なかなかの縁だ。

 

これまでも、僕は彼の落語を何度か聞いている。談志師匠が元気なころ、毎年、練馬で行われていた立川流一門会で、おもに聞いたのだと思う。この会では、ほかに志の八や、一番弟子の志の吉もひょっとしたら聞いている。

 

その頃の志の春の印象は、うーん…、という感じだったけれど、この日は見ちがえた。眠気を催すほどだった。ヘタな落語では眠れない。眠くなるのは、リズムがよく、安定感があるからこそだと思う。演し物は、「厩火事」だった。

 

志の春は、じつは二つ目昇進時も、東日本大震災で、当初予定していた披露目などができなかったという。志の輔師匠だって、とんとん拍子の人に見えるけれど、談志師匠に入門して数か月で、談志門下が落語協会から独立し、寄席とは一線を画した落語人生を歩んだらしい。

 

「わくわくしましたよ、これから何が起こるのか」

その話をまくらで何度か聞いている。師匠の荷物持ちで電車かバスに乗っているときに突然、落語協会を辞めるから、と談志師匠に告げられたという話だったと思う。

 

高座で志の春を紹介する志の輔師匠は、久しぶりに「昔の志の輔」に戻っているみたいだった。みずみずしさみたいなものが感じられたのだ。それが何かわからなかったけれど、ああ、今日の師匠、いいなあ、と僕は感じた。

 

演目終了後、三本締めのために、志の春をともなって再び口上の舞台に現れた。

「いやあ、4か月ぶりの落語だったんですよ」

へえ、こんな人気者でも落語をできずにいたんだ…。

 

「大丈夫だろうと思ってたんですけどね、息継ぎができない。どこで息を吸ったらいいかわからない。…いやあ、こんな演目選ばなきゃよかったんですけどね」

ああ、だからきらきらしてたのか。4か月ぶりの落語が楽しかったんだろうな、いつもよりぎくしゃくしてたけど…。

 

演目は「みどりの窓口」と「抜け雀」だった。

この人は、志ん朝師匠寄りの噺が好きだなあと思う。しかも「宿もの」がお気に入りみたいで、ほかに「ねずみ」や「宿屋の仇討」などをよく耳にしてきた。残念なのは、そのときに僕が聞きたいと願う演目に一致したことがないことだ。今日も「千両みかん」が聞ければなあと思っていたけれど…。

 

でも、真打昇進後初めての落語と、4か月ぶりの志の輔師匠の落語。

15日の公演に割り振られたおかげで、本当に「なかなか見られないもの」に出会えた幸運を感じている。16日じゃ、それぞれ「2度目」になっちゃうもの。

 

(敬称を一部、省略いたしました)