ホテルのラウンジに久しぶりに入った。

サンシャインプリンスホテル。

 

僕が20歳くらいのときに、実家から歩いて20分くらいの位置にできた、もっとも近いシティホテルだ。

 

当時、僕は、弟と共同で中古車をもったばかりだった。

夕飯後に、やることもなく、でも落ち着かないような日に、弟と目が合ったりする。

「行く?」とその目は言っている。うん、行こう、と軽くうなずいて、僕らは、車でふらふらとサンシャインプリンスに向かった。

借りていた駐車場まで7、8分。プリンスのそばに車を止めるまでに20分はたっている。

所要時間は徒歩でも変わらないけれど、夜、ふらふらと手に入れたばかりの車で出かけて、無駄な時間を過ごす満足感がほしいだけなのだから、これで正しいのだ。

 

ホテルでコーヒーを飲むのが好きだったのは、どこか大人になったような気分もあったのかもしれない。でも、もっと実際的な理由もある。

「コーヒー1杯分の料金を払えば、お替わりが自由にできるから」

「2杯めを飲めば、喫茶店より割安だから」

 

喫茶店のコーヒーは1杯300円くらいで、ホテルコーヒーはサービスチャージを含めて550円前後だった。ファミレスにコーヒーのお替わり自由のところがあったようにも思うけど、ホテルラウンジのコーヒーのほうが僕にはおいしかった。まだファミレスにドリンクバーはなかった、

 

その後も打ち合わせなどで、ホテルラウンジをつかう頻度が減ることはなかったけれど、バブル後数年がたつ頃から、足が遠のいた。

 

バブル時に1杯1000円まではねあがったホテルコーヒーの値段は、僕らの所得が落ちてもなかなか下がらなかった。そのうえ、海外からの観光客が増えて、ホテルラウンジが「混んでいる場所」になってしまったのだ。

 

そのためもっぱら200円以下のカフェをつかうようになった。ドトールコーヒーができたのは僕が25歳の頃で、その後、数が大幅に増えていた。あおりで減り始めていたのは喫茶店だった。

 

年齢のせいか、そのカフェにもあきてきていた。

カフェのコーヒーの値段は、いまや、250円から350円くらいになっているし、以前のような日本的な目配りもなくなっている。喫茶店世代のせいか、長い列に10分並んで、セルフでコーヒーをサーブするより、いろいろやってもらって500円を払うほうがいいと思うようになっていた。コメダ珈琲がうけている理由を、実感として理解していた。

 

サンシャインプリンスのラウンジに入ったのは、妻との外出帰りに近くを歩いていたからだった。最近はあまりラウンジでお茶、をしていなかったから、たまにはいいかなと思った。でも、なぜたまにはいいかな、と思ったのかは、入るまでわからなかった。

 

それは、「すいているから」と「静かだから」がおもな理由だと、入店してはじめてわかった。

じつはこのときも、ラウンジの入口が、子連れの家族などでにぎわっていたため、いったんあきらめたのだった。15分後に舞い戻って、案内してもらうと、新しいレイアウトになったラウンジは、とても広々と使われていた。席のとなりには、その家族連れがいて、子どもがそれなりに騒いでいたものの、うるささは感じなかったし、ゆとりのある空間にほっとしたのだった。

 

メニューにも目を見張った。ケーキセットが1100円くらい。40年前の値段だ、と思った。

もう40年くらいたつんだ、と僕は思わずつぶやいていた。

妻が顔をこちらに向けるので、サンシャインプリンスホテルのオープン当時から、弟とこのラウンジを訪れていたことを話した。妻も、地元の人間で、弟のこともよく知っている。

 

また来てもいいな、と僕は思っていた。かつて僕が好きだった空間がそこにあった。

 

そうか、今は旅行客もいないんだ、と思い当たった。

海外からの旅行者ばかりでなく、東京は、go to キャンペーンからも除外されていて、国内旅行客もいないのだと、あらためて思い知った。

 

この半年、何度か、帰宅途中にサンシャインプリンスのなかを通った。

 

1年前なら、フロントロビーは、到着客や帰国を待つ人々と、そうした人々の(グループごとにまとめられて網をかけられた)スーツケースとで、ごった返して、中国語が飛び交っていた。あれほど圧倒的だった中国からの観光客の姿も音もない…。

 

コロナの影響なのはあきらかだった。でも、それは、これまでの僕にとっては、ホテル客の話でしかなかったのだ。今日、ラウンジに入ってみて、身に染みて現状に感じ入った。

 

妻が会計を終えるのを待つあいだに、がらんとしたロビーを見渡していた。

サンシャインプリンス40周年、というステッカーが目に入った。9月12日、という数字もあったかもしれない…。あ、やっぱり40年たつんだ、その日にオープンしたのかな…。

その傍らには西武ライオンズの選手のパネルが置かれていた。松坂だけは等身大らしいパネルだった。

 

20歳の頃のラウンジの風景が、今でも鮮明に記憶にあることに気づき、驚いていた。

 

「東京人割引があったよ」

「え、何、それ?」

会計を終えた妻が近くに来ていた。なんて言ってたかなあと、レシートを見せられた。そこには「東京応援割引」とあった。2246円に対して449円割引。ほぼ20パーセントが割り引かれ、そのうえでサービスチャージと消費税が10パーセントずつ、加算されていた。

「免許証とか見せたの?」

「うん、ありますか? って聞かれたから」

 

へえ。除外されてもいいこともあるんだ、と思った。東京全部でやっていることなのか、一部の店舗やホテルだけが独自に行っていることなのかは知らないけれど、ちょっとうれしかった。

 

40年前、弟とここを頻繁に訪れていたときに乗っていた車は、残念ながら今は製造中止の、トヨタのコロナだった。

こっちのコロナは、早くなくなるといいな。