7月31日、今年初めて、蝉の声を聞いた。

長い梅雨はまだあけていなかった。翌日の8月1日、関東地方の梅雨は開けた。

 

梅雨明けの前日。我が家からほど近い急な坂を上り切ると、蝉の声が聞こえてきた。

ああ、そうか、蝉の季節か…。でも、もう明日は8月なのに…。

 

坂の上の直線を200メートルぐらい進んで少し左へ行くと、線路沿いに桜並木がある。公園も近くにある。蝉の声はそのあたりから届いているにちがいない。

歩くにつれて少しずつ大きくなっていった。

 

坂を上り切って20、30メートル進むと、アブラゼミが落ちていた。

蝉の声を遠くに聞いたものの、まだ蝉の姿を身近に感じていない。

それなのに、役割を果たした蝉の姿がそこにあった。何かしら悲しかった。

抜け殻さえ見ていないのに。順番がちがうじゃないか。

 

直線を左に折れると、うるさい音に包まれた。

いつもと同じ蝉の音のシャワー。

 

桜並木への10メートルのうちに、からだじゅうが蝉の声で包まれたようになっていく。ミンミンゼミを追うようにアブラゼミの声が聞こえた。

続いて、ツクツクボウシまで聞こえてきた。

 

へえ、ツクツクボウシまで…。今年は全部一緒か…。

梅雨が長すぎて、出てくる時期が一緒になったようだった。

 

かつていなかったクマゼミが、この20年ほど、東京では優勢だ。

子どもの頃、東京では見られない蝉が西のほうにいると知って、見てみたいと熱望した。

温暖化や、根っこごと西のほうから移植された木々とともに、東進してきたらしい。

 

クマゼミが東京に上陸する前までの、蝉たちのおおよその風景はこんな感じだった。

ほぼ同時に、最初にアブラゼミが、次にミンミンゼミが鳴き始めて、夏の盛りを迎える。この二重唱は強烈で、真夏だ、と思わせる。暑苦しい音。

やがて、お盆前からツクツクボウシが鳴き始めて、夏も終わりに近づいたと思う。

 

でも、今年は、蝉の鳴く季節であることを思い出さなかった。

気温も梅雨の終盤から下がり気味になり、蝉たちも地上に姿を現すタイミングを見失ったようだった。例年に比べ引きこもりがちだったために、わずかに姿を現していた蝉たちを、僕が見つけられなかったのかもしれない。今年は、誰もがみな、いくらか引きこもりがちだろう。

 

蝉との縁が、少し薄い夏、なのかもしれない。

7月31日になって初めて蝉の音を聞いた。しかもアブラゼミ、ミンミンゼミ、ツクツクボウシを全部一緒に。

 

東京の蝉は、僕の知るかぎりほかに2種類いる。

ニイニイゼミとヒグラシ。

どちらも生息地域がだいぶ狭くなっていると思う。

 

ニイニイゼミはめったに出会わなくなった。

もしその声を聞けるとしたら、この蝉が、七夕の頃、いちばん初めに鳴き始める。友人の行動範囲にはいるらしく、彼は毎年聞いているという。

 

ヒグラシも、今では、都心では特別な場所でしか聞けない。

夕方に鳴くため、暑苦しさより、静けさを想起させる蝉だ。出す音もやわらかい。

一日が終わったよ、夏もそろそろおしまいだよ、そんな風情を持つ。

 

今年はヒグラシを心待ちにするほど、まだ夏を経験していない。

 

そして、明日は、立秋だ。

蝉の声を聞いてから1週間あまりで、暦のうえでは秋を迎える。

「暑中見舞い」も「残暑見舞い」に変わる。

 

いつもとは夏の景色がちがう。