安倍さんがまだ40パーセント近い人に好まれているのが、不思議、という話。

周囲には、安倍好きをあまり見かけないし、年上の人々は大切な日本を壊した張本人だというし、年下の人も、自分たちの世代はすでにあきれているのに、まだ高支持率なのは、年長者が好きだからだろうという。えーと…、あれれ…、数が合わないような…。

 

なぜいつまでも、「10人のうち4人が、リーダーはこの人がいい」という調査結果が出るの?

 

ちょっと考えてみた。少しオカルトかもしれないけれど、たとえばこんなのは?

週刊誌の見出しにはなっていたかもしれないけれど。

 

アンケートの調査項目の文言や集計方法にトリックがあるという考え。

えげつない指示があるわけではなく、「質問をするのならこういう訊ね方が望ましい」というささやきが発せられたり、世論調査を司るマスコミが気づかいを見せて、「選択肢には、こういう文言を入れてほしいって、言外ににおわされたんだよね」と、アンケート内容に微妙に手が加えられる場合があったりするんじゃないの? だって去年の流行語のひとつには、そんたく、があったような…

 

具体的にはこんな感じかな、と思う。

 

たとえば支持率の選択肢が、段階的に支持→不支持の5段階の、AE に分かれているとすると、普通ならC は「どちらでもない」に当たり、支持にも不支持にもならない選択肢になる。

でも、もしその文言が工夫されていて、普通に読めば「どちらでもない」なのに、無理をすれば「どららかというと支持する」に読みかえができるとしたら?

人々が「中立」として投票したものが、集計上では、「政権支持」の数字になってしまうようだと、支持率をつねに「半数近い支持」にするのは、とっても簡単だ。数としてはいちばん多い中立層が、いつの間にか「支持派」として扱われてしまうのだから…。

 

新聞社やテレビ局など報道にかかわる大マスコミは、官邸記者クラブをつくっていることで(消極的な独自取材に甘んじることで)、政権に牛耳られてきたし、免許制のテレビ局は多かれ少なかれ弱い立場にある。

 

3月末までは官邸で行われる記者会見は、本当にひどかったらしい。

前もって質問をする社が決められ、質問内容は前もって官邸に通知される。質問者は前もって決められた人だけで、その場で質問を求めて手を挙げても、無視されて記者会見は打ち切られる。「完全な出来レース」だった。前もってわかっている記者会見だから、「台本えい発表」と揶揄されていたらしい。その言葉に反発しなかった大マスコミには、あんぐり、だなあ。

 

僕は15年以上前に大新聞の購読をやめた。官邸に限らず、あらゆる場所で組織される記者クラブ制度は、読者にとっては弊害でしかないと思ったから。独自取材を放棄したマスコミなんて、ゴミだと思うもの。

でも、まさかこんなにひどくなっているとは思わなかった。3月末に記者クラブと政権のずぶずぶがわかるに至って、本当に驚いたくらいだ。

 

今回の感染症騒ぎもきっかけになって、官邸記者会見では、前もって決められた質問者だけでなく、「台本」にない人が手を挙げた場合にも、司会者は会見を打ち切らないようになった。

もちろん、フリーランスのジャーナリストは自由に質問ができるようになり風通しもよくなったと思う。でも、大マスコミと官邸にかぎっていえば、そういう「自由な質問」によって「少しよくなったでしょ」と見せるだけのパフォーマンスにも思える。

ずぶずぶだった大マスコミと官邸の関係が、すぐに直るとも思えない。実際にはたいして修正されてないんだろうな、とさえ感じる。

そんなマスコミが発表する支持率のアンケートを信用していいのかなあ…。

 

以前は朝日とか毎日とかが「反自民」、サンケイや読売が「右寄り」と言われていたけれど、今も本当にそうなの? なんか、昔、自民党と社会党が繰り広げた役割分担の「55年体制」が、今、マスコミでも行われてるのでは、と思うことがある。

ねえ、大マスコミ各社さん! 本当はどうなってるの?

(つづく)