Type Dのブログ

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ある世捨て人の逍遥。

 フランク王国のブローチ。Ⅰ

 同じくフランク王国のブローチ。Ⅱ

 Ⅰは金製、Ⅱは銀製か。埋め込まれた宝石はⅠはサファイア?Ⅱはルビー?宝石には全然詳しくないので申し訳ないことです。5世紀後半にフランク人によって建国されたフランク王国。メロヴィング朝からカロリング朝へ王位が移り、8世紀後半から9世紀前半のカール大帝(シャルルマーニュ)は西ヨーロッパのほぼ全域を版図にした。カール大帝以降はフランク帝国、カロリング帝国とも呼ぶようだ。

 

 AD843年のヴェルダン条約でフランク王国は3分割された。西フランク王国はフランス王国、東フランク王国は神聖ローマ帝国、中フランク王国はイタリア王国へと分かれていく。西洋史の先生はキリスト教の洗礼を受けたカール大帝(シャルルマーニュ)はよく覚えておくようにとのことであった。

 

 さて、フランク王国のブローチである。それほど精緻を極めたものではない。素朴なデザインと評する人もいるだろう。Ⅱは鳥なのであろうか?とも思うが。後年のイタリアの銀の装飾品(銀細工)に比べれば確かにそういう感想もあるだろう。しかし時代を考えればこれはこれで意味を持つブローチであるようだ。うーむ、宝飾関係は鬼門じゃ。本日も晴天なり。

 旧渡辺鉄工所・社宅群。博多区にある。震電を製作した九州飛行機は、その渡辺鉄工所の子会社である。ここに震電の製作に関与した人も住んでいたのであろうか?そう考えると、なかなか感慨深い。

 

 借家に長く住み続けていると、大家さんと交渉して、安くその家と土地を購入できると聞く。今現在、社宅群の名残りを見せている住宅はごくわずかである。ほとんどが建て替わっている。画像もあるのだが、実際に住まわれている人がおられるし、大勢の人目に触れれば、「粗末な住宅だ」とか「みすぼらしい」などど心無い言葉が浴びせられることも想定して(大昔に建てられた社宅群なので当然なのだが)画像はUPしない。

 

 医学書に男性器の写真や機能の説明があっても、医学生は別にふざけたりしないが、大勢の人の中からはふざける人も出てくる。この辺りは残念なことである。

 

 さて、戦闘機の設計についてである。戦後、当時戦闘機の開発にたずさわっていた人の手記にはこうあった。

 

「誰もが日本の劣勢を挽回するために、素晴らしい戦闘機をつくろうと意気込んで開発にたずさわろうとするのだが、戦闘機の設計を許されたのは東京帝国大学で飛行機について学んだ人ばかりだった」と。

 

 零式艦上戦闘機(海軍)を開発した堀越技師が、いかに凄いスーパーエリートだったのか想像できるエピソードである。*震電の設計主務者は、海軍航空技術廠(空技廠)の技術少佐、鶴野正敬氏(東大工学部航空学科卒)である(ネットより)。

 

 さて、震電の試作機は1945(昭和20)年の6月に完成。今の福岡空港に運ばれて、8月3日、6日、8日にテスト飛行をおこなった。当時、父は小学校1年生だった。あの時、父は空を見上げれば、見慣れない前尾型飛行機が見られたはずなのだが、残念ながらわが家には震電の記憶は伝わっていない。本日も晴天なり。

 

 熊本県・大分県にまたがる松原下筌(まつばら・しもうけ)ダム。たしか豊後・竹田城を友人Oくんとクルマで拝見しに行く途中に立ち寄った。クルマを出してくれたのはOくんであった。Oくんありがとう。大きなダムであった。

 

この時の写真がわたしの部屋に見当たらない。真っ赤な橋が印象的だったのだが。ネットでこのダムの画像を検索したが、橋の色が赤から白に変わっていた。有料画像購入サイトでもそうだった。ゆえに読者のみなさまにはこの画像を提示したい。550円なり。

 

このダムの真っ赤な橋を通った時の印象は「あれ?ここはなぜか、学生運動で激しくやりあった場所と同じ気配がするなぁ?」だった。そしてわれわれのクルマは豊後・竹田城を目指してこのダムを後にした。

 

それからどのくらい時間が経過しただろうか。愛読していた呉智英(くれ・ともふさ)氏の著書で、このダムが建設される時に、とんでもない騒動が起きていた事実を知らされた。【蜂の巣城紛争】である。今はネットで検索すれば、経緯はわかるので説明は省(はぶ)かせてください。

 

呉智英氏はこの紛争の地元での中心人物を指して「中世的な支配者」と表現していたと記憶している。わたしは「領主」ってことかな?と思ったものだ。今はまた違う解釈もあるのだろう。さまざまな角度から見た人物の評価があってもいい。

 

【1958(昭和33)年から1971(昭和46)年まで13年間つづいた日本ダム史上最大の反対運動】(ネットより)

 

この反対運動の結果として、つぎの言葉が残っている。

「公共事業は理に叶い、法に叶い、情に叶わなければならない」

なるほど。こころに留めておきます。本日も晴天なり。

 

 

 

 5代目日産シルビアのクリーム色は斬新だった。紺色が爆発的に売れたので、道路上で見かけるシルビアは紺色ばかりになった。そこで出てきたクリーム色もまた人気を博した。画像は台数限定のコンバーチブル。値段は130万円ほど通常のシルビア(Q’sで230万円ほど)よりも高価だった。

 

 若者が1日に2万円の日当をもらえば、勤務時間は8時間だから時給2500円。1ヵ月の給与は23日出勤で46万円。年収552万円。

仮に1日3万円の日当ならば、勤務時間は8時間だから時給3750円。1ヵ月の給与は23日出勤で69万円。年収828万円。(単純計算である。所得税・住民税の支払いは必要)

 

1年以内にちょっとしたクルマは買えてしまう計算になる。

 

かつて1980年代後半から、1990年代にかけて、メルセデス・ベンツの小型車「Cクラス」は360万円だった。ライバルのBMWも「3シリーズ」は同じく360万円。おまけにアルファ・ロメオの「75」と次代モデルの「155」もピッタリ360万円だったと記憶している。これは当時のサラリーマンの年間所得とほぼ一致している。わたしはアルファ・ロメオの下位モデルである「33」が早く日本に来てほしいと夢想していた。

 

では、今現在、BMWの「3シリーズ」は?687万円である。少し驚いた。数年前に調べた時は、550万円だったと記憶しているから。つまり、「上のほう」はみんな知っているのである。日本人が1年間にどれくらい稼いでいる(はずな)のかを。550万円くらい30代から40代が稼いでいるのが本当なのだ、と。ビッグマック指数と同じである。今は687万円。つまり、BMWの「3シリーズ」に乗るオーナーの年収は687万円くらいの想定なのである。メルセデス・ベンツの「Cクラス」は735万円。つまりオーナーの想定年収は735万ほどか。

 

 わたしは「老兵」かもしれない。ただ黙って去るのが本当なのかもしれない。しかし、熱く燃える若い人に「ヒント」くらいは示してもよいだろう。お前ら、もしかして騙されているのでは?と。本日も晴天なり。

 

 

 

 VHSビデオデッキ。わが家に来たのは1980年代後半である。当時のVHSビデオデッキは89800円という値付けだった。大安売りでも79800円。これはどこの電化製品売り場でも、どこのメーカーでもだいたい同じであった。テレビはまだ横広がりのブラウン管テレビ(90年代)ではなく、29インチの正方形のブラウン管テレビの時代であった。移動させるのに一苦労なのであった。

 

 Sonyは頭一つ抜け出ていて、他のメーカよりも3万円、4万円高価な製品で勝負していた。ただし、子会社のAiwaは他のメーカーと同じくらいの値段。よく考えられていた。Sonyのミニコンポに5枚のCDが載る「リバティCDプレイヤー」というものがあり、衝撃を受けた。わたしは今でも欲しいのだが。

 

 そんな中、妙な噂を聞いた。「アメリカでは、日本のメーカーのVHSビデオデッキが日本よりずっと安い値段で売られている」という。成人していろいろ書物を読んだが、昔にも似た事例があったようだ。それは松下幸之助翁が主婦の消費者団体から「なぜ日本の国内では、パナソニックのテレビは高いのに、海外では安く売られているのか?」という抗議であった。幸之助翁は「パナソニックの経営方針に、なぜ主婦が口を出すのか?」と言って泣いたという。

 

 外国は日本と電気のコンセントの形状も違い、100vでもない。香港は240v。世界中の国々でそれぞれ「仕様」が違う。そもそも昔は西日本と東日本では60キロヘルツと50キロヘルツ。引っ越しをする時に、電化製品は買い替える必要があったのだ。わたしの幼い頃は、もうそういう事はなくなっていたが。

 

 国内では国民に高い製品を売っておいて、海外市場ではずっと安い製品を売る。そして海外での市場での占有率を確保する。なかなか考えられた戦略だ。日本にフリップス(蘭)のテレビは入ってはこないのだから。そして日本のサラリーマンの男性もうすうすこの事は知っていた。経済雑誌などで、ときどき「これはいかがなものか?」という言論はあったのだから。

 

 売った後の利益も、北米ならば北米でドルのまま資産を運用する。アメリカでは概して日本の金融機関よりも金利は高いし、株式として資産運用すればかなりの収益が見込める。そういう日本とは桁違いの投資銀行もアメリカにはある。むろん想定外の下落や大暴落も覚悟しなければならないが。

 

 それなのに日本ではなぜか「貴重な外貨を稼いでくれる輸出企業を援護しなければ」というような1950年代から1960年代の考え方が民間にあったと思う。だからこそ外国よりも割高な電化製品を庶民は購入していたのだ。一家の大黒柱・お父さんの援護射撃である。

 

 つまり、何が言いたいのか?今の日本は内需の国なので、もはやそれは不必要な配慮では?それに各御家庭に、そういう援護射撃を行える家庭も限られているだろう。中間層が没落しつつあるのだから。第一、配慮であって、義務ではない。聞けば消費税はもともと国民の福祉の為の財源だったという(夜中に記者会見をした細川政権を思い出してください)。それが輸出企業への「還付金」や「補助金」に化けているから、トランプ大統領は日本の消費税は非関税障壁だ、と指摘したのだ。そろそろ筋を通すべき時に来たのではないのだろうか。本日も晴天なり。

 

 

 

 S13シルビア。1980年代後半の大ヒットモデルである。デザインはジウジアーロ。さすがである。ターボモデルのK’sとノンターボモデルのQ'sが存在した。後になって、装備を簡素化したJ’sもでたと記憶している。兄弟車は180SX。180SXは北米に240SXとして輸出された。

 

 この頃のわが家の話しである。両親が話していた。「腕のいい職人さんに来てもらうのならば、日当はせめて2万5000円はお支払いしないとね」と。これが80年代の後半である。1989(平成元)年の福岡県の時給が447円くらいだったと記憶している。夜間のバイトの時給はもう少し高かった。「1989年当時は、コンビニや飲食店、工場夜勤などのアルバイトが多く、深夜帯は手当込みで700円〜800円台が一般的」(ネットより)。

 

 サラリーマンのご家庭の子息は福岡県の時給で物事を計算していた。わたしもそうなのだが、一方で家が自営業だったので、腕のいい職人さんの日当の相場も知っていた。2万5000円の日当を8時間で割ると、時給は3125円である。ちょうど2000(平成12)年にビルの建設現場で現場監督さんが「ビルの建設現場の電設工事で、資格を持った職人さんを呼んだら、日当は4万5000円だ」とつぶやいていた。8時間で割ると5625円である。

 

 わたしは経営者さんの見識に一目も二目も置く者なのだが、あえて言いたい。1日8時間で3万円(時給3750円)で人を雇わないといけない時に、派遣会社を間にかませて派遣社員に来てもらう。派遣社員は1日8500円くらいの日給月給。23日働いたとして19万5500円。これでいいのだろうか?と。

 

 この給料(月に20万円前後)で「結婚」・「子育て」・「携帯電話料金の支払い」・「クルマの購入」ができるのだろうか?「勉強しなかったから、不利な労働条件で働く。当然のことだ。それで何か問題でも?」。問題大ありである。若者が誰もクルマ・バイクを買わなくなった。スポーツカーはもともと北米市場でしか成り立たない分野だ。しかし日本の若者は頑張って「フェアレディZ」「スカイラインGT-R」「RX-7」を買っていたではないか。

 

 さて、5代目のS13 シルビアである。ZやGT-Rは変えないけれど、頑張ってシルビアを買おうと考えていた若者はいたではないか。ターボモデルには予算が届かずに、ノンターボモデルを買おうと思っていた若者もいたではないか。彼らは今の若者とほぼ同世代だった。何が違う?どこが違う?

 

 「若いヤツの中から出来るヤツが出てこない。そうゆうヤツは正社員として雇用したいのだがな」という声がある。もう少し先行投資はできないものか?

 

 「今の若い奴はダメだ」そうかもしれない。しかし原因と結果を入れ替えていないか?若者に「罪」や「過失」をなすりつけてはいないか?本当は「俺達が若者に対する初期投資や福利厚生、それなりの給与体系を削ったので、若い奴が出てこれなくなっている」のでは?

 

 アメリカの某日系自動車会社の工場のライン工は時給5000円を超えている。わたしはTVでその工場のライン速度を拝見したが、明らかに日本の工場のライン速度よりも遅かった。それでアメリカに進出した某日系企業はそれなりに収益をあげているのである。利益を生まなかったらその工場は存在していないはずなのだから。

 

 もしかしたら、日本は搾取が厳しい社会なのかもしれない。そして、労働者の天国は、実はもうアメリカ合衆国の日系自動車工場の内部で実現されていたのかもしれない。8時間働いて日当が4万円。23日働いて月給が92万円。ぐぬぬ。わたしがあと10歳若ければ…。本日も晴天なり。

 

 

 いとこのDちゃんのジープ・ラングラー。なかなかの面構えである。最近のクルマにはこれほどの強い個性は感じない。右ハンドルでおまけにレギュラーガソリン仕様(!)という。いい感じである。

 

【新開発の2.0L直列4気筒ターボエンジン(272PS/40.8kgm、アンリミテッド スポーツに搭載)が搭載されている】(ネットより)

 

聞けば、Jeepの親会社のクライスラーは、ヨーロッパのステランティスグループの一員という。なるほど、V6エンジン以外の選択肢も用意しているのはそうゆうことか。走行もいいらしい。わたしとしては、「丸目のヘッドライト」が好きな方なのでこのクルマには好感をもった。最近、若い人がジープに乗っている光景をよく見かけるが、たしかになかなかの傑物(けつぶつ)とお見受けした。本日も晴天なり。

 

 

 

 春は名のみの風の寒さよ、と歌の一節にはある。しかし最近は風も少し緩(ゆる)み始めたようにも感じられる。春の訪れなのだろうか?

 

 いつもはバイクであっという間に通り過ぎる場所に、菜の花畑があったことを発見した。たまには歩いてみるものである。歩くスピードでは気づくものが違う。バイクでよそ見はできないのだから。

 

菜種油(なたねあぶら)が貴重だった時期が日本史ではあった。20年ほどむかし、わたしの買ってきた『週刊新潮』のカラーページを見て、父が驚いていた。鹿児島の菜種油採集場面であった。その菜種油搾(しぼ)り機こそ、祖父が長年勤めた某鉄工所の製品であった。祖父は社長から可愛がられ、子会社の工場長をやっていて、幼い父は某鉄工所内部をフリーパスで歩き回っていた。幼い父は「図面室」で某鉄工所の製品の設計図を見放題だったのだ。「これはおそらく大正年間の某鉄工所の製品だぞ」と父はつぶやいた。この菜種油搾り機の「製品の金属プレート」を見れば、某鉄工所の大正年間の製造と刻印されているはずだ。「油圧」が日本の最新工業分野だった時代が確かにあった。だから某鉄工所は、戦時中に海軍の御用をつとめて潜水艦の部品を製造していたのだ。あの菜種油搾り機は、今でも現役なのだろうか?きちんとメンテナンスを受ければ、まだまだ使える。菜の花を見れば、祖父(1代目)・父(2代目)・わたし(平成時代にわずかに仕事に加わった)と3世代の油圧話になってしまう。なんとも個人的なお話しである。本日も晴天なり。

 

 

 早良区(さわらく)の賀茂神社わきの「なまず広場」である。小さな川と川の合流地点にある。むかしから水鳥を見かけていたところなので、行ってみた。看板に説明されているように、神社自体は平安時代には建立(こんりゅう)されていたという。

 

 しばらく川辺を見回したが、水鳥はいなかった。では「なまず」は見られるのだろうか?なまずは基本、日中に人の目に触れるところにはいない。雨や曇天(どんてん)の日に、水面近くをゆうゆうと泳ぐ姿は見たことがあるのだが。5~6月の産卵期には川をさかのぼる姿を日中に見かけることはよくあった。今回も当然姿は見えなかった。

 

 

 おわかりだろうか?画像中央にすずめがいることを。とにかくすばしっこいので、スマホのカメラではこれが限度であった。人の近くに住んでいる鳥なのだが、スマホを持って近づくとあっという間に退散してしまう。手ごわい相手であった。

 

 

 

 川面(かわも)を凝視(ぎょうし)していると、「あのー、エサ、くれるんですか?」と言いたげな白い鯉が寄って来た。しばらくお互いに佇(たたず)んでいると、「ちぇっ、ひやかしかよ」というように静かに去って行った。妙に人に慣れてんな。本日も晴天なり。

 

 諫早湾(いさはやわん)の潮受堤防排水門(しおうけていぼうはいすいもん)である。遠くに映(うつ)るは雲仙岳(うんぜんだけ)であると説明されていた。

 

 【20以上の山々からなる火山群の総称である】(ネットより)

 

 小学生の時に、母方の祖父から九州地図を見せられて「この諫早湾を埋め立てる計画があるんだよ」と教えられて●十●年。ようやく現地に到着した。百聞は一見に如かず。

 

 1997(平成9)年、全国ニュースで「堤防の閉め切り」が大きく報道された。「海がギロチンにかけられた!」という衝撃的な文言つきであった。当時、わたしは考古学の発掘現場でアルバイトをして、何とか糊口(ここう)をしのいでいた。その時に、「秋の長雨」に遭遇してしまったのである。考古学の発掘は露天で行われるので、雨が降ったらビニールシートを広げて現場を保存するしかない。実に11日間雨は降り続けた。なぜ憶えているのか?雨の期間中は発掘現場に入れず、もらえるはずだった「日当」を計算して、天を仰いでいたからである。埋蔵文化課の現場監督さんは発掘計画が大幅に遅れて、違った意味で天を仰いでいた(笑)。

 

 さて、地元ローカルTVニュースではこんな報道がなされていた。「この雨で諫早湾干拓地にそそぐ川が今にも溢(あふ)れそうになり、排水門が機能した。干潮と満潮の潮位の変化を利用して、干潮時に排水門を開け放ち、干拓地に溜(た)まりに溜まった雨水を排水しつづけた。結果、干拓地および周辺の道路付近にまで達していた水位は下がり、町は水没をまぬがれた」と。

 

 その日の夜の全国ニュースは、この事例を一切取り上げて報道はしなかった。『ニュースステーション』も『ニュース23』もである。いったい何なのであろうか?こんな大事な事例を判断材料として国民に知らせないなんて。北海道や東北にお住まいの人々はたぶん今でもご存じではないのでは?「報道しない自由」ですか?なんともである。本日も晴天なり。