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夫婦+3姉妹(4歳と0歳ツインズ)の5人家族です
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注意陽性判定後の記事です

2人目妊活を振り返って書いています注意

 

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  入院

 

絨毛膜羊膜炎と診断された12w0d。

 

 

産院に着いたのが16:00頃

診察が終わり入院が決まったのはもう17:00過ぎでした。

 

 

コロナ禍のため診察中も車の中で待機していた夫を呼び、

別室で院長から状況の説明を受けてもらいました。

 

 

ちなみにまだPCRの検査結果が出ておらず、

長女も保育園に預けることはできていなかったため、

2歳の娘を連れてのバタバタ劇でした。

 

 

本来まだ面会もNGでしたが、

状況も鑑みて入院当日だけは、

長女も含めて病室に入れてもらえ、

ちゃんとお別れできたことはありがたかったです。

 

が、長女は状況理解ができていないのか、

明るく薄情な感じで「ばいばーい」と帰っていきました・・・悲しい

 

 

 

入院してすぐに抗生剤の点滴開始

 

 

それでも19:30頃からは

陣痛のような定期的な間隔で子宮収縮が始まり、

また熱も上がってきました。

 

安静で横になっていても、

まったく眠気は訪れず、

ただただ検索魔と化していました。

 

 

 

どれだけ探しても明るい内容は出てこず、

同じような方のブログ等を読み漁っていて、

ちょうど妊娠12週に入ったため、

万が一の時には死亡届や火葬も必要になることを知りました。

 

 

そして、12週以降の後期流産の場合、

流産といっても「出産」となるため、

産後休暇が発生することも知り、

あーーーーー・・・と。

 

 

 

そんなこんなでネットをあさっている間に、

やっとPCRの結果が出て「陰性」。

 

 

むしろコロナだったら良かったのに・・・

とか考えてしまう。

 

 

23:00頃には抗生剤が効いたのか、

収縮痛も治まってきたため、

ネガティブな記事ばかり読んでいても暗くなるだけ、

と無理やりにでも眠ることに。

 

バタバタな1日で疲れも溜まっていたのか、

思いのほか眠れました。

 

 

 

 

  最後のエコー

 

翌日12w1d、

起きてから夫に連絡すると、

長女もさすがに夜は異変に気付いたのか、

母がいないことにグズっていたとのこと。

 

病室で別れるときはあまりにも軽いバイバイだったので、

ちょっと嬉しくなる←

 

 

PCRも陰性確定したので、

この日は無事長女も保育園に送ってもらい、

夫は面会できないながら、

入院に必要なものを持って来てもらいました。

 

 

私のほうは、

朝食後に院長が顔を出してくれ、

午前中にもう1回エコーで状況みてみましょうと。

ただし、一切ポジティブな可能性を感じさせない話しぶりから、

やはり厳しいのだと思い知らされる。

 

 

結局昼食後、

午前の通常診療が終わり、

通っている妊婦さんたちがいなくなってから診察に呼ばれました。

 

 

 

 

お願い。

良くなっていて。

ぽぽちゃん、元気でいて。

 

 

 

 

 

祈りながら乗った診察台。

 

 

 

 

でも、

もうぽぽちゃんの心臓は動いていませんでした。

 

 

 

 

間違いであってほしい、

と願っても、

念のため2回探してくれた心音も聴くことは叶いませんでした。

 

 

 

 

その後の話では、

陣痛促進剤を使って出産することになる。

通常なら日を空けてとなるが、

母体保護のため夕方にはラミナリアで子宮口を広げる処置をして、

明日には分娩にする、

といったことを話されました。

 

 

なるべく取り乱さないように、

淡々と相槌を返してその場をしのぎました。

 

 

 

 

そして診察が終わって、

病室に戻って1人になった瞬間。

 

 

堪えていたものが全て溢れ出てきました。

 

 

 

 

声をあげて泣いたのなんていつぶりだろう。

 

 

 

 

 

 

ごめんなさい。

 

 

 

ごめんなさい。

 

 

 

 

ぽぽちゃんは元気だったのに。

生きようとしてくれていたのに。

産まれてこようとしてくれていたのに。

ぽぽちゃんは何も悪くないのに。

 

 

 

守ってあげられなくてごめんなさい。

 

 

 

 

生きようとしていた子どもより、

自分の身体を守ろうと、

危険なものを排除しようと収縮する子宮。

 

 

 

どうしようもないことは頭では理解しているんです。

それでも母として情けない気持ちでいっぱいになりました。

 

 

 

 

 

 

ひとしきり泣いてから、

LINEで夫にも状況を連絡。

 

 

 

「そっか、きっとぽぽちゃんたくさん頑張ってくれたよね。

 ごめんね。ありがとう。」

 

 

 

 

きっと夫も色々考えて返信してくれたと思いますが、

自分の中でもっと違う言葉を期待していたような気がします。

 

でも、じゃぁ何ていう言葉をかけて欲しかったのか、

何の言葉が正解だったのか、

それは今もまだ自分でもわかりません。

 

 

 

そして夕方からのラミナリア処置までの時間、

出血が多く2日間ほど入浴できていなかったため、

シャワーを浴びたりして過ごしました。

 

 

 

続きます・・・