今、ショスタコーヴィチで何が一番好きかと聞かれたら「交響曲第10番」と即答します。”今”と断ったのは「第4番」を初め多くをはまだちゃんと聴いてないからに過ぎません。
私が聴いてきた中で「第1番」以降初めてなんじゃないでしょうか。ショスタコーヴィチが社会情勢を背景にせず思うがままに交響曲を書いたのは。もちろんスターリン死去という社会情勢があったからですが、その訃報に接して一気に書き上げたと書かれています。
ショスタコーヴィチ自体は学生の頃から「第5番」を聴いていますが、その後「第7番」を知り、作曲者が「第5番」は強制された喜びを表現したということを「証言」という本で書いていたことは本当なんだろうと感じ、それ以来ずっと「第7番」一本槍でした。それが変わったのが2年前くらいに「第10番」を知ってもう天地がひっくり返ったくらいの衝撃を受けたこと。それはカラヤン/ベルリン・フィルの旧録でした。
バルトークは「管弦楽のための協奏曲」でショスタコーヴィチの「第7番」を否定的にパロってますが、ショスタコーヴィチはそのお返しでも無いのでしょうが「交響曲第10番」は「管弦楽のための協奏曲」の交響曲版のような作りになっています。
そういう意味でカラヤン/ベルリン・フィルはベストだと思っています。この曲には政治的な意味は無く、真のエンターテイメントになっているのです。
今、youtubeで1976年にムラヴィンスキー/レニングラードが来日した時のこの曲の録音を聴いています。
カラヤン/ベルリン・フィルがモスクワ訪問して作曲家の前で演奏したのが「交響曲第10番」でした。演奏後ショスタコーヴィチは”自分の曲がこんなに美しく演奏されるのを聴いたことがない”と言い、同席したムラヴィンスキーは”素晴らしかった。しかしカラヤンはこの演奏をレコード聴いてみる必要がある”と言ってます。
ムラヴィンスキーの”レコードで”という言い方はピンと来なかったのですが、この演奏を聴くと”あまりにも表面的だ”と言いたかったんだということが分かります。ムラヴィンスキーはもう出だしからいつものショスタコーヴィチです。もうこの辺りは同胞意識と言うか、例えば私たち日本人が昔から歌い継がれている童謡を聴いて感じる本質的な部分は外国人には理解不能だろうと感じるのと同じだと思います。
それに比べショスタコーヴィチの発言はちょっと深読みしたくなります。今ではその真実性が疑われてしまった「証言」という本ですが、ショスタコーヴィチはムラヴィンスキーが嫌いだったと言うのは本当だと思います。何故ってショスタコーヴィチは元々マーラー派なんですから、民衆の期待に応える形で数々の名作を書いてきたものの、いつかはそれから解放され個人的な曲を書きたいと思っても不思議では無かったと思います。彼は隣にもう体制の権化のようなムラヴィンスキーがいるので”美しい”としか言えなかったのでは無いでしょうか。本当は”これこそ私の求めていた演奏だ”なんて口が避けても言えなかったと思います。深読みし過ぎましたかね。
でもそうやって演奏されたムラヴィンスキーのフィナーレ、音響的にはカラヤン/ベルリン・フィルに分があると思いますが、その破壊力は圧倒的にムラヴィンスキーです。しかし何度も言いますがそれをショスタコーヴィチが望んだのかどうか…。
皆さん、どう思われますか?(多分否定的な人が多数なんでしょうね)

